SHODAN -湘談-
「ベルマーレが地域の中心であってほしい」 元選手が古巣に注ぐ、愛情以上の想い

クラブを支えるパートナー企業との対談企画「SHODAN-湘談-」。今回のゲストは、株式会社のりおと株式会社C.DREAMSでCEOを務める西川吉英さん。2022年よりオフィシャルクラブパートナーとなり、現在はおもにアカデミーを支援されています。そんな西川さんと坂本絋司代表取締役社長は、かつてベルマーレでともにプレーした仲。同い年の元選手同士の対談は、現役時代の思い出から、パートナーになった経緯やアカデミー支援の根底にある想いなど、ざっくばらんながらも熱のこもったものとなりました。 以下敬称略
――西川さんと坂本さんは2002年から2年間、ベルマーレで一緒にプレーしました。同い年でもありますが、お互いどんな印象でしたか?
西川 紘ちゃんは玄人が好むサイドハーフでしたね。ボールを持てばなにかやってくれるから、一緒に出るときは紘ちゃんに預けることしか考えていなかった。
坂本 のりちゃん(西川さん)はおもにサイドバックだったよね。運動量があって、左右どちらでも器用にプレーしていた。自主練でクロスの練習をよくやっていたよね?
西川 ああ、やってたね。やらされてた(笑)。
坂本 そんなに攻撃的なタイプではなかったかな。なにかが突出しているというよりは安定感のある選手という印象だった。
西川 そうねえ……攻撃のセンスはなかったです。身体能力だけはあった。
坂本 そう、対人とか球際とかね。
西川 それを外国人監督に評価されて、野球で言うストッパーみたいな感じで、残り5分に「試合を締めてこい」と送り出された。だから記憶ではいろんなポジションで出たように思います。
坂本 ああそうだね。いわゆるポリバレントな選手だった。それはサミア監督のとき?
西川 うん。だからトップ下をやったこともあるし、ミーティングでサミア監督に「リベロとGK以外は全部やるぞ」と言われた記憶がある。できないよと思いながら(笑)。

写真左 西川様 写真中央左 坂本社長
――西川さんは2003年のJ2第9節福岡戦で得点を決めていますね。
西川 そのときはボランチで出たんですよ。
坂本 生涯唯一のゴールね。
西川 そう、Jリーグでは唯一のゴールだね。しかもなぜかボランチ。たしかクマ(熊林親吾)の出場停止で俺が吉野(智行・現スポーツダイレクター)と組んで出たんじゃないかな。その映像欲しい(笑)。
坂本 (当時の公式記録を見ながら)そうか、あの頃はベンチ5人しかいなかったんだね。
西川 そうだよ、スタメンとサブを合わせて16人の時代だよ。
――ところで、なぜニックネームが「のりお」なんですか?
西川 みんながそう呼んでくれていたので。
坂本 ベルマーレに来たときからのりおだったよね。
西川 大学までは「ニシ」だったんですよ。でも大分でプロになって、キャンプの打ち上げでスタッフも入れて紅白戦をやったんですね。そのとき、それぞれあだ名を付けたのがきっかけで、それ以来、僕はクラブが変わってもずっと「のりお」と呼ばれてきました。
――そして、いまでは「株式会社のりお」と、会社名にもされています。
西川 サッカーをやっていた頃の愛称で僕はずっと生きてこられたし、いろんなひとと出会えた。それで会社をつくるときに思い切って決めました。
坂本 インパクトあるし、絶対覚えるよね。
西川 でも最近は恥ずかしくて、会社名と自分の名前をセットでは言えなくなった(笑)。
――お仕事の内容を教えてください。
西川 株式会社のりおはコンサートやイベントの制作を行なっています。簡単に言うと、アーティストが所属しているプロダクションからお話をいただき、彼らがやりたいものを形にする仕事ですね。
もうひとつ、株式会社C.DREAMSは、競泳とスピードスケートのオリンピアンをはじめ、スポーツに関するマネジメントをメインに行なっている会社です。かっこよく言えば、スポーツ界に恩返しをしたい。その一方で、応援することでともに同じ夢を見させてもらえる側面もあります。たとえば僕はもうオリンピックには出られないけど、オリンピアンと一緒にいることでかつて抱いた夢が叶う感覚がある。だからすごく楽しいし、彼らが頑張っている姿にパワーをもらっています。
坂本 自身が元アスリートだからこそ、夢を追いかける選手の気持ちが分かると思うし、なかなか環境が整わない競技の選手をサポートするところものりおらしいなと思います。
――株式会社のりおの設立はいつですか?
坂本 2017年10月だと思います。会社のホームページに載っていたよ。
西川 そうですね、合っています。
坂本 C.DREAMSも同じタイミング?
西川 いや、1、2年ぐらいあとかな。
――西川さんは2007シーズンをもって現役を引退していますが、その後起業するまでの約10年間はなにをされていたのですか?
西川 僕がベルマーレに所属していたときに胸スポンサーだったリズメディアに就職しました。
――サッカーの現場には携わらなかった。
西川 それは自分のなかで嫌でした。もう戦えないと思ったので、監督の座を争う気力はなかったんですよ。だからリズメディアの社長の谷川(寛人)さんに、これからなにがしたいか聞かれたときも、「安定した会社員になりたいです」って言ったんです(笑)。
坂本 そうだったんだ。
西川 いまでこそそれはできないと思うけど、当時はそう思った。それぐらい擦り減っていたというか……。
坂本 やり切った感覚だった。
西川 きつかったね。もちろんね、みんなそうだろうけど、大学までトップでやっていた人間が試合に出られなくなったり、そういう葛藤はあって、そのなかで頑張り抜いたという感覚はあったからね。
――独立する気持ちはもともとあったのですか?
西川 ないです。それまで僕は、自分は2番手で活きるんじゃないかなと思っていたぐらいで、お金の勘定もできませんでしたし、社長としてなにかを決定することもできないと思っていた。だから会社員をやめるなんて思ってもいませんでしたけど、そこは勢いでしたね。
坂本 のりちゃんの性格を知っているだけに、独立はけっこうびっくりだったかな。自分がトップに立つより、あいだに入ってチームを円滑にするタイプだし、のりちゃんがいると和むみたいな、その場が盛り上がる印象があったから。
西川 そう、本来はそういうタイプなんだけどね。友人に手伝ってもらって会社をつくったけど、よく分からないままもう8年が過ぎてる(笑)。でも代表としての能力は分からないけど、やっていることは紘ちゃんの言うような、ひとのあいだに入って物事を円滑に進める仕事なので、その点は自分に合っているのかもしれない。
坂本 うん。イベントを成立させるために、あいだに入って現場のひとを繋げたり、裏方として仕事を円滑に回したりする仕事なので、社長業は意外だったけど、やっていることは選手としてチームのなかで立ち回っていた頃と同じかもしれないね。
西川 そう、僕は分け隔てなくひとが好きなので、嫌いなひとはいないし、むしろみんなと仲よくしていたい。実際、いろんなひとが助けてくれるし、お互い助け合う関係でいられればいいなと、ずっと思っていますね。
――ベルマーレを支援することになった経緯を教えてください。
西川 2021年に開催されたOB戦ですね。
坂本 その帰り際に「スポンサーをやりたいんだけど、どうしたらいい?」って営業の島村(毅・ベルマーレ元選手)に声をかけてくれたんだよね。
西川 もともとスポンサーに興味はあったんですけど、とくに島村くんは現役時代の頃から大好きな選手だったので、引退して営業で頑張っている彼を応援したい気持ちもあって、声をかけました。あと、自分が現役時代にもらった給料をクラブに返したいという想いもあったんです。安かったので給料分はもうずいぶん超えているんですけど(笑)。
坂本 はははは(笑)。
西川 でもほんとにそのぐらいの気持ちでベルマーレに関わっていたいなと思って。それでサポートコーポレーションから始めました。
坂本 そんなふうに考えてくれるのはすごいよ。
――そして翌2022年6月にオフィシャルクラブパートナーになりました。
坂本 今年で4年目になるんだね。
西川 うちの名前はもう外に出なくていいと思ったので、掲出するのはやめて、今年からアカデミーを支援させてもらっています。
――具体的にはアカデミーにどのような支援をされていますか?
西川 僕としては、どんなことでもいいからアカデミーをサポートしたい、お金の使い道は任せます、とお伝えしました。実際には、遠征の際にかかるさまざまな費用のサポートという形で使うと聞いています。アカデミーダイレクターの(平塚)次郎くんは、そのことをホームページに載せますと言ってくれたんですけど、外に出す必要はないから、みんなのためになるものに使ってくださいと言いました。
坂本 広告を出さずに費用だけを負担してくださることを思っても、クラブの意義や夢に投資していただいていると感じます。具体的なリターンをすぐに用意できるわけではないんだけど、自身がサッカーをやっていたからこそ、アカデミーの選手が成長し、表舞台で活躍する姿を見る楽しさをのりちゃんは分かっているんだろうと思う。だから10年後にうちのアカデミー出身の選手がヨーロッパで活躍したり、ワールドカップに出たりしたら、一緒に現地に行って、「うちの子なんだよ」と言いながら酒を飲みたいねと話しています(笑)。
西川 それだけでめっちゃ楽しいですよね。海外のサッカーを観に行って思うのが、企業にしても個人にしても、お金を出したことへの見返りを求めている感じがしないということ。それよりもチームに関わってステイタスを得ることを楽しんでいる、あるいは誇りに思っているように感じられる。それはかっこいいなと思う。僕自身、たとえばひとを助けたときに返ってくるものを求めないと決めているんです。その代わり、ひとへの恩だけは忘れないようにしようと思っている。いわゆるサッカー式ですよね。先輩に奢ってもらったら後輩に返す、みたいな。そうやって繋いでいきたいなという気持ちがありますね。
坂本 我々からすると、その考えはありがたいですけど、でも甘えてはいけないと思っています。のりおの性格は知っているし、見返りを求めずに、なんでも受け入れてくれる。でもビジネスとしての一線はしっかり保たなければいけない。仕事を離れたら一緒に飲みに行ったりもするけど、仲がいいからなんでもいいという関係ではないし、お金をいただいた分きちんとお返ししていかなければいけないと思っています。
西川 紘ちゃんをはじめ、眞壁さん(眞壁潔取締役会長)や前代表取締役社長の水谷(尚人)さん、吉野など、僕がお世話になったひとや一緒にプレーした元選手がこんなにもクラブにいると愛情以上のものが自然と出てきますよね。だからお金をつくることについても、会社のなかのひとたちだけでやるのは限界があると思うので、僕らにできることがあるならお手伝いしたい。そのなかで、ベルマーレのアカデミーにはこれまでの蓄積があり、実際、いまリヴァプールや日本代表で活躍している遠藤(航)くんのようにトップ中のトップの選手も輩出している。アカデミーの選手がトップチームで活躍する喜びもあれば、彼らが高く評価されて巣立っていくことでビジネスとしてまた違うハッピーが生まれるので、そこに協力できたら僕もうれしく思います。ひとの夢に乗っかるという意味では、それもまた僕の得意技かもしれないですけど(笑)。
――今後ベルマーレに期待すること、またどのように関わっていきたいか、最後に聞かせてください。
西川 ヨーロッパを見てきた経験を踏まえて思うのは、ベルマーレが地域の中心であってほしいということ。僕が行ったところで言うと、レアルマドリードやリヴァプール、アーセナル、またヘーレンフェーンのような小さい街でも、週末スタジアムに足を運べばハッピーになれる。そういう文化が湘南地域にあってほしいし、その中心が湘南ベルマーレであってほしい。そのためには、この地域にも大きなスタジアムがドンとあるといいですよね。たくさんのひとが集まり、いま以上の応援が選手に届いて、よりいっそう魅力的なチームになり、さらにアカデミーも充実していく。そこに自分もいられたら楽しいなって思います。
クラブとの関わり方は……そうですね、僕はなにかのハブになれればいいなと思っています。もしかしたら僕みたいな考えを持っているOBはたくさんいるかもしれないし、その意味では横の繋がりだけでなく縦の繋がりも大事にしたい。いずれにせよ、クラブを支える関わり方でありたいなと思います。
坂本 ありがたいです。引退して10年以上経ち、こうしてまたベルマーレに関わってくれるようになって、クラブとして変わらない根幹の部分に魅力を感じてくれていることがうれしい。クラブが成長し、変化しているところはたくさんあるけど、大事にしているものは変わらないし、逆に言えば、だから応援したいと、いつまでも思ってもらえるクラブでいなければならないと思います。のりちゃんはクラブが大事にしなければいけないものをあらためて気付かせてくれたし、貴重な仲間になってくれて僕もうれしい。それが今回伝えたいことです。これからも末永くよろしくお願いします。
西川 こちらこそよろしくお願いします。