ボイス

【ボイス:2022年5月19日】舘幸希選手

コロナ禍前と変わらない
気持ちを感じる熱い応援に感謝
 サッカーを始めたのは、1つ上のお兄さんに影響されて。小学生の間はフォワードだったが、中学生の頃に所属したクラブチームの指導者に「試しに」使われてディフェンダーとなった。

「フォワードは点を取る楽しさがあるんですけど、ディフェンスはボールを奪ったときとか、単純に1対1で負けなかったりとか、そういった楽しさを見いだせた。初めてそれに気づけたというのがありました」

 中学時代は、県の選抜やトレセン(都道府県トレーニングセンター制度)に招集されることもあり、高校はより高いレベルでサッカーがしたいという思いからサッカーの強豪校の一つである四中工(四日市中央工業高等学校)に進学した。

「でも、プロになるっていうこと自体は見えなかったというか。何て言うんですかね、もう『なれないものだろうな』くらいの感覚でいました。高校のときも、普通に大学に行って就職していくものだろうと思っていたんです。大学でも、当時の日本大学は関東2部だったり、東京都1部だったので、そこではやれる自信はあったんですけど、『とはいえ2部だしな』くらいの感じでいたので。本当にベルマーレから声がかかるまでは、普通に就活してましたし、就活では内定が出ていたり、最終選考の段階だったりという時期でした」

 練習参加から獲得オファーに至った。

「プロになれるとは思っていなかったので、初めてオファーをいただいて、頭が真っ白になりました。就職とプロサッカー選手を天秤にかけたこともなかったし、イメージすらなかったので。でも、オファーをいただいたのであればプロにならない手はないと思いました。家族には就活の状況を伝えてはいたんですけど、自分の好きなようにすればいいということは言ってくれて。もちろん不安はあったんじゃないかなと思いますけど、それでも小さい頃からサッカーを応援してくれていたので、喜んでくれたと思います」

 ベルマーレについては、高校の先輩である坂圭祐選手(現大分トリニータ)が所属していたことからなんとなくイメージを持っていた。

「坂選手は2個上の先輩なんですけど、練習に参加させてもらう前にちょっと連絡して教えてもらったりはしました。でも、その前からなんとなく、走って戦ってというイメージがあったし、練習に参加して僕のプレースタイルにすごく合っているなという思いが生まれて、ここでチャレンジしたいと思いました」

 デビューはルーキーイヤーに迎えた初の公式戦、ルヴァン杯のグループステージ第1節だった。新型コロナウイルス感染症が猛威を振るう直前、この年、通常開催された2試合のうちの1試合だ。

「満員じゃなかったですけど、人数制限もなく、すごい応援でした」

 その後のプロ生活は、コロナ禍の中。つまり、スタジアム中に響き渡る声援や歌声のなかでプレーしたのはこの一度きり。今はもう手拍子や拍手の応援が当たり前となっている。それでも、そこにファン・サポーターの気持ちを感じる。

「無観客の試合は出ていないのでわからないですけど、デビュー戦のときと今を比べても、あまり変わらない気がします。ホームではハリセンの応援がすごくて。よく聞こえるし、雰囲気もいいし」

 とはいえ、先輩たちからはちょっと釘を刺されている。

「今は、自分達の声が聞こえて意思疎通もできるけど、先輩に聞くと、『聞こえないからな』と言われます。自分たちの声も聞こえないような応援の中でプレーした経験はないので、経験してみたいですね」 

 今、スタジアムで観戦していると、選手たちの声がよく聞こえる。ただ試合をするだけなら、それでもいいのかもしれない。しかし選手たちは、応援こそがその一歩の後押しになり、自分たちをより輝かせることを知っている。選手たちもまた、応援の制限がなくなる日が来るのを待っている。

>勇気を出して新たな自分を見せていきたい