ONLY ONE STORY

15 MF YONEMOTO TAKUJI

MY STORY

-チャレンジの魂

今年でプロ14年目を迎えますが、中学までは無名の選手でした。
地元である伊丹の本当に普通の高校に入り、良い大学から推薦をもらうために国体のメンバーに選ばれることが目標でした。
中学生の時、伊丹FCというチームで関西の大会に出たんですけど、それがガンバ、ヴィッセル、セレッソのグループに入ってしまって、本当にボコボコにされたんです。「あぁこういう人たちがプロになるんだな」と思って、僕は中3でプロを諦めました。
一応、高校に入る時にヴィッセルのユースに来ないかと誘ってもらったんですけど、移動時間に長く時間をとられるよりも、少しでも長くボールを蹴ったほうが上手くなるんじゃないかなと思って、家から歩いて3分の、兄も通っていた高校へ行くことに決めました。

目標であった国体のメンバーに高校1年で入ることができて、そうしたらなぜかそのまま代表にまで行ってしまって(笑)
僕はそれまで、代表どころかナショナルトレセンなどにも一度も入ったことがなかったので、先生に呼ばれて「代表に呼ばれたんだけど行きたい?」と聞かれて、「え?どういうことですか?」って。

テレビで見ているような世界の人たちとサッカーをやるというのが全然信じられなくて。それこそ、その別世界の人というのが直輝(山田選手)なんですよ。
高校1年の時、U-17日本代表で僕は直輝と繋がるんですよね。柿谷選手や水沼選手もいましたが、その中で僕が強く衝撃を受けたのは直輝だったんです。
同じボランチのポジションで直輝は本当に上手くて、ボールの受け方だったりをめちゃくちゃ真似してました。
真似したらそれまでの選手かもしれないですけど、でも真似しないとまず追いつけないと思ったので、ものすごく真似しました。自分が良いと思ったプレーだけを何回も何回も練習したりして、本当に影響を受けていましたね。

その時、みんなは僕のこと「誰?」っていう感じだったと思います。でも無名だった僕を見つけてくれたのが城福さんでした。それで高校卒業後は城福さんが監督をされていたFC東京でプロになることを決めました。

FC東京には10年在籍しました。正直、居心地が良かったです。甘い考えかもしれないですけど、いようと思えばずっといられたかもしれません。でも、それだとサッカー人生つまらないなという想いがあって、チャレンジしたいという気持ちが強くなりました。自分にまだ足りない技術を身に着けたくて、名古屋へ移籍しました。

今回、湘南からオファーをもらって移籍を決断した理由は、一番はやはりチャレンジしたいという気持ちが大きかったこと。一度きりのサッカー人生であれば、色々な監督とやってみたいという気持ちもありました。
そして、今までは試合に出て、先輩に助けられながら勝たせてもらっていた側だったと思いますが、この年齢になって自分がチームを勝たせることができる選手なのかというのを考えた時に、湘南でそれを実践したいと思いました。
本当に今までは偉大な選手に引っ張ってもらって、自分自身は勝たせてもらっていたという感覚でした。今度は自分が勝たせたいなと。そういう選手になりたいと思っています。

MY ASPIRATION 2022

-今度は自分が勝たせたい

湘南に来て、智さん(山口監督)は僕が目をつぶってきたポジショニングだったり苦手としていることを指導して要求してくれるので、この年齢になってまだまだ上手くなれるなと実感しているので、本当に楽しいです。
年齢を重ねるとあまり言われなくなるものですが、要求されたほうが自分もチャレンジできるし成長できると思っています。「よし次はそのプレーにチャレンジしてみよう」と思えるし、言ってもらえるということは本当に有難いことだなと思っています。

智さんとは、僕が18、19歳の頃に対戦したことがあります。センターバックを中澤聡太さんと組んでいたと思いますがすごかったですね。
細くて身長もそんなに高いわけではないのに、センターバックができるのはなぜだろうと思っていましたが、いま指導を受けて、めちゃくちゃ考えて緻密にやっていたから、あのガンバの黄金時代にセンターバックとして試合に出続けて結果を出していたのかと納得できます。あそこまで考えていたからなんだな、と。

今シーズン、チームが掲げた目標の5位以内を成し遂げたいですし、その一員になりたいという思いでいます。
自分も学び、成長しながらチームを勝たせられる選手になれればと思っています。
今年、来年、再来年と自分のこの決断が間違っていなかったと思える活躍ができればと思っています。