ONLY ONE STORY

20 MF NAGO SHINTARO

MY STORY

-厳しい道へ

小さいころからプロサッカー選手になりたいという想いがありました。中学までは地元である大阪のチームでずっとやっていて、高校は大阪の強い高校に行こうと思っていたんですけど、静岡学園から声が掛かったんです。
静学の大先輩である紘司さん(坂本スポーツダイレクター)の同級生で、僕の恩師である齊藤興龍コーチに声を掛けてもらいました。

静学に入るまで、僕は何と言うか薄い人間だったので、厳しい環境に身を置いたほうがいいと思って県外に行くことを決めました。実際に静学での3年間は、練習はもちろん寮生活や上下関係、勉強も含め、厳しくしんどい毎日でした。
でも、それまで親にやってもらっていたことの有難みなど、自分の中で感じられたことや気づけたことがたくさんありました。本当に大きな3年間だったと思います。
もう一度戻りたいかと聞かれると戻りたくないと思うくらいでしたけど、この道を通ってきてよかったと心から思います。

高校の時、僕は無名だったのでプロからの誘いはなく、先輩が多く行っていた順天堂大学にスポーツ推薦で進みました。
大学1年から少しずつ試合に出て、少しずつ成長して、全日本の選抜などにも入れるようになりました。大学3年の時にユニバーシアード日本代表に選ばれて、大会で世界1位になった時はめちゃくちゃ嬉しかったです。その時のメンバーには天馬くん(松田選手)や坂くんもいました。

大学3年のユニバーシアードが終わったくらいで鹿島からオファーをもらいました。大学4年の時は鹿島の特別指定選手になったので、大学と鹿島を行ったり来たりしながらプレーしていました。
プロになってからはプロになれたという喜びよりも、ここからだなという気持ちが強くありました。鹿島だったから余計にそうだったのかもしれませんが、結果が求められる世界なんだということをプロに入って強く感じました。

MY ASPIRATION 2021

-結果を

去年は自分の中ではとても苦しい一年でした。
試合に出てこそ評価される世界なので、試合に出続けて活躍し続けて結果を出さなければ、生き残っていくことはできないと感じています。
そのことを胸に、相当な覚悟を持って、今年ベルマーレに来ました。

自分の特徴はドリブルやゴール前でアイデアを持ってプレーし、バリエーションを生み出すこと。
数字も含めて目に見える数字を出したい。“惜しい”とか“いいところまでいけた”ではなく、結果のところをもっともっと意識して、最後の精度を上げていって結果に結び付けたいと思っています。

ベルマーレの選手として、ベルマーレのエンブレムを背負っている以上、ここで結果を出す責任があると思っています。