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【ボイス:5月4日】臼井幸平選手の声

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 ほんのわずかとはいえ、最終節までJ1昇格への望みを繋いだ2008年シーズン。しかし、J1の舞台は垣間見えただけ。舞台に上がるには、まだ足りなかった。クラブの力も、選手たちの実力も。そして自分たちを信じる心も。その及ばなかった一歩を満たし、J1昇格を自らの手でつかむのが2009年シーズン。その闘いは既に始まっている。
 指揮官のタクトは、リバウンドメンタリティをテーマに、選手に闘う心を植え付けてくれた菅野前監督から、ベルマーレが湘南の暴れん坊と呼ばれた良き時代に選手生活を終えた反町監督に受け渡された。
 魂のルーツを知る指揮官がどんな采配を振るうのか?導かれる先にあるものは?その過程のすべてを楽しみたい2009年。
 そこで今シーズン最初のボイスは、ベルマーレ平塚時代を知るもうひとり、臼井幸平選手にスポットを当て、現在の状態やベルマーレへの移籍についての思いを聞いた。

voice_090504_02ゴールへ最短距離を狙う攻撃的なサッカー、
守備では一対一に責任を負う。

「手応えはかなりあります。まず最終ラインでは、ジャーンと大輔(村松)がほとんどクロスボールを跳ね返してくれるし。サイドは、ある程度中を切ってクロスを上げさせる分には問題がないし、そういうトレーニングをしている。だから、鳥栖戦こそ4失点したけど、その他の試合では失点自体が少ないはず」

 インタビューを行ったのは第8節・熊本戦までを闘い終えた4月17日。7勝1分で2位をキープしているチームについて、今季の手応えを尋ねた問いへ、穏やかながら勢いのある口ぶりで答えが返って来た。

「鳥栖戦は失点した上に負けちゃったけど、他の試合ではパーフェクトとは言えないにしてもパーフェクトに近い内容のディフェンスができていると思う。まずそこがすごく変わったところ。得点力も今のところ(8節終了時点)14得点していてそれもたぶん上位の方だと思う。3トップがうまく機能しているし、熊本戦も替わって入った竜太(原)が結果を残してくれた。ディフェンスも攻撃も安定していると思うので、手応えはかなりありますね」

 開口一番、ディフェンス面の話が出てくることからも分かるように、指揮官の交代によって具体的にどんな点が変わったのか、臼井選手がより意識しているのはディフェンス面だという。

「システムが替わって、個人個人の役割もものすごくあるけど、ディフェンス面で一番厳しく言われているのが、最後の一対一は絶対に負けないということ。自分の中でもチームとしても、その責任感というのが一番変わったと思う点。自分のマークの相手から点を取られたら、本当に自分の責任。実際、鳥栖戦は自分のマークの相手にクロスを入れられて決められた。そのあとの試合の前に監督には、『クロスの対応をしっかりやれよ』って、ポツっと言われるんで、それを聞いて、『ああ、やっぱり』と(笑)」

 同じミスは繰り返せない、繰り返さない。一人ひとりがそう自覚している。また、システムが替わったことによって臼井選手自身は考えなければならないことも変わったという。

「サイドは、中を切ってタテに行かせて、ある程度はクロスを上げられても仕方がない、という対応がひとつ。最後は滑ってコーナーに逃れる。でも、数的不利になる時があるんですよ。やっぱり3トップで攻撃に人を割いているから、前のテラさん(寺川)が守備に間に合わない時もあって2対1の局面とか、結構多い。そこをどう対応するか、という部分が自分の中でも結構考えなければならないところ。監督からは、ある程度はやらせてもしょうがないとは言われているんですけど、極力それをやらせないようにどう外に追い込んで取るかっていうのをもっともっと考えていかなければいけない。これからさらに相手に研究されれば、サイドをもっと突いてくると思う。でも簡単には行かせないよ、というところを見せていかないと評価されないし、やっていかなければいけないポジションなので。それでなおかつ、自分の特徴である攻撃参加をどれだけ増やせるか、だと思う」

voice_090504_04 サイドバックはディフェンスに属するポジションだが、臼井選手といえば攻撃的なスタイルが特徴。だが今年は、サイドを駆け上がる、という今までのイメージとは少し違ったシーンが数多く展開されている。その理由は、反町監督が志向するサッカーのスタイルによるもの。ゴールへ最短距離でボールを運ぶことを最優先とし、監督自身、『サイドにゴールはない』というほど、中央突破による攻撃が目を引く。

「そうですね、外がフリーでも中に行けるなら中に行け、という意思統一があります。それで、中が塞がれたらサイドを使えという優先順位がある。まずゴールに向かっていくのが第一優先で、それがやっぱり一番得点に繋がる。まずゴールに向かう姿勢がないと相手も怖くないからだと思います」

 サイドと名が付くポジションを担う選手としては苦笑いするしかないほど、中央突破にこだわったスタイルだ。サイドを駆け上がっても使われないこともある。そうはいっても、サイドでフリーのまま手をこまねいている臼井選手ではない。攻撃面でどう自分の特徴を出して行くか考え、その結果のひとつとして、第6節の鳥栖戦ではゴールも挙げている。

「監督がゴールに直結する攻撃を求めていて、中に中にっていう意識から自分も中で勝負しよう思ったんですけど、本当にそれをやることによってシュートチャンスもある。クロスの本数は減ったけど、ディフェンスラインの間に流せるような効果的なクロスを狙うか、そうじゃなければワンツーで中に入って中でかき回せば他の選手と近い距離でプレーできるので自分が得点に絡めるし、そういうやり方ができている。今は世界でもそういうプレーが多いので、それをめざしてやっています」

 日々追うのは、サイドバックの新しい姿。しかし、試合数をこなせばこなすだけ相手チームに戦術は分析され、対応策が研究される。その上を行く強さを身につけなければならないのだ。

「監督の引き出しからは、まだまだ出てくると思う。自分としても、サイドは今のサッカーで本当に重要な役割をするポジションだと思うので、チームのために自分のクオリティを上げて、ディフェンスと攻撃のバランスを良くしたい。目標としてはまずJ2でトップレベルのサイドバックだと言われるようになりたいです」

 目標という言葉が出てきたので、今季、個人的に掲げている目標を聞いてみた。

「開幕から出ることが第一の目標でした。そして第2の目標は、全試合に出ること。だから警告の累積で出場できないということがないようにファウルを少なくして、その結果、5ゴール5アシストくらいできたらなっていうちっちゃな目標は持っています」

 J1昇格を見据えているからこその目標を胸に秘めている。

voice_090504_03自分を振り返って見つけたのは
感謝の気持ちだった。

 今季は、チームにキャプテンをおかず、試合毎にゲームキャプテンが指名されている。臼井選手は、黒星を喫した鳥栖戦でキャプテンを務めた。

「ホント、単純に順番なんだと思うんですけど(笑)。だからいつかは巻くんだなと思っていたんだけど、負け試合になってしまいました」

 キャプテンに指名されたのは、当日のホテルでのミーティングの時。

「監督からは、『今日はキャプテン誰々』って言われるだけで、特別なことは言われない。一人ひとりに責任を持ってほしい、みんながキャプテンだというくらいの責任感を持たないとチームとして成り立たないということだと思う。そうはいっても意識しますよね。特に僕は、普段あまり声を出したり、まとめたりするタイプではないので。でも、どうにかキャプテンっぽくまとめなきゃという責任感も出てきたし、だから点も取れたのかなと思います。本当に負けたくないって思ったんですよ。連勝できていて、自分がキャプテンの時にストップさせたくないっていう思いから点は取れたんですけど」

 もうひとつ、勝ちたかった理由がある。

「ベルマーレで点を取ったのは、初めてだったんです。昔を含めても。他のチームではあるんです。だからなおさら勝ちたかったです」

 臼井選手がベルマーレに在籍するのは、2度目になる。
 1度目は、1998年からの3年間。フランスワールドカップの開催年にベルマーレ平塚ユースからトップチームへ昇格した。この’98年は、4人の代表選手を擁し、ベルマーレが最も華やかだったと言われる年。そして親会社の撤退が発表された最も衝撃的な年でもあった。この年から激動の3シーズンを過ごし、2000年を最後に契約満了となった。

 その後、1年間のブランクを経て横浜FCで練習生から契約を勝ち取って選手として復帰を果たし、チームの中核を担うまでに成長。その後に移籍したモンテディオ山形では、キャプテンを務めるほど、精神的な支柱としても頼られる存在となった。

 この経緯を振り返ると、2008年に再びベルマーレへ戻ったその決断に、どれほどの思いがあったのか、計り知れない。

「本当に複雑な心境でしたね。最初は『いや、やっぱりムリだ』と正直行きたくないという気持ちが強かった。オファーがある前の話ですけど、解雇になった悔しさがモチベーションにもなっていましたから」

voice_090504_05 その思いを変化させたのは、ユース時代からの同期で、現在、ベルマーレジュニアユースの平塚次郎監督。かかってきた電話で、自分を振り返った。

「最初は感情的になって悪いイメージで考えてしまったけど、だけどそうじゃないんじゃないかなって考えが変わって。ジュニアユースからここでやって、やっぱり育ててもらって、その時教えてくれた指導者にはもちろん恩があるし、そういうのを全部踏まえたらベルマーレにすごく感謝しているって思えた。それにクラブとしても、当時と強化のスタッフは違うけど、でも一度解雇を告げた選手にもう一度オファーを出すということは、簡単なことではなかったと思うんです。それでも来いと言ってくれたことをうれしく思った」

 心残りがもうひとつ。最善を尽くしてもなお逃れられなかったJ2への降格。99年シーズンを闘った若手主体のチームは、善戦はするものの勝ち星はほとんど挙げられなかった。

「自分がいた時にJ2に落としてしまった。だから戻ってJ1に上げられたら何かを返せるとも思うし。なにより、当時は19歳くらいで若かったから、サポーターにも強い印象を与えられていたわけじゃないと思うので、あらためて覚えてもらいたい、足跡を残したいと思ったんです。サッカーをやってきた中で、自分はベルマーレにこれだけいて、こういうことをやったという足跡を」

 また、ベルマーレでのJ1復帰にこだわるのには、複雑な理由もある。横浜から山形へ移籍をすると横浜FCがJ1へ昇格し、ベルマーレに移籍してきた昨年は、モンテディオ山形がJ1へ上がった。

「でもいいんです。今年こそJ1に上がって、最後に上にいればいい。そうなりたいです」

 そう語る臼井選手は確かに今、ベルマーレの中心選手として試合を闘い、その培われた実力に加え、クラブへの思いすらも昇華したプレーでスタジアムを熱くする。夢の舞台へ上がる準備は整いつつある。

取材・文 小西なおみ
協力 森朝美、藤井聡行