ボイス

【ボイス:2016年10月11日】齊藤未月選手

トップチームと同じサッカーを体験して
見つけたストロングポイント

 サッカーを始めたのは、3歳頃。サッカーをやっていた父に教わり、地元の少年団である藤沢FCに入った。そこにいたのが今季2種登録され、来季のトップチームへの昇格が内定している石原広教選手。石原選手とはこのあとずっとチームメイトとなる。
 そんなサッカー歴のなかで、ベルマーレの存在を知ったのは小学校1、2年の頃。
 
「お父さんと試合を見に行った思い出があって。それでベルマーレっていうチームを知りました」
 
 その後も藤沢FCでサッカーを続けていたが、よりレベルの高いところでサッカーをやりたいという思いがあったという。そんななか、小学校5年生になる前に石原選手がベルマーレジュニアのセレクションに受かったことを知る。
 
「小学校4年生のときに広教ともう一人の友人が先にベルマーレのジュニアのセレクションに受かったという話を聞いて。『俺もJクラブに行きたい!』って気持ちになりました」
 
 ベルマーレのジュニアは2011年3月末を持って活動を停止しているため、最後の在籍生となった。Jクラブのアカデミーであることを意識することはあまりなかったようだが、それでも他の少年団とは少し違ったという印象が残る。
 
「藤沢FCと対戦した時は、ちょっと変な感じでした。ただやっぱりベルマーレはみんな選ばれてきてるんで、上手いなっていう、一人ひとり特徴があるから来てるんだなっていう感じがありました。他の少年団のチームと試合をしても、ちょっと飛び抜けてるなっていう感じはありましたね」
 
 そのままジュニアユースに昇格。そこから少しずつJクラブのアカデミーであることを意識することになる。
 
「やっぱりトップの選手が身近にいるっていうのは、Jクラブとしてメリットっていうか。トップの選手が自分たちが練習終わったところの前を通ったりするし。中学校に入ると試合を見る回数も増えるし。
 学年が上がるにつれてプロになりたいっていう意識は高くなっていった気がします。明確になったのは、中3が始まった頃。ユースに入ってからはもうプロになるって決めてました」
 
 齊藤選手が中学3年のときに浮嶋敏コーチ(当時/現フットボールアカデミーダイレクター及びU-15平塚監督)がトップチームからアカデミー担当に変更になったことも刺激になったという。
 
「トップの話もいろいろしてくれましたし、サッカーもいろいろ教わりました。
 聞いていたのは、ユースに上がると練習試合でトップチームに参加することもあることや、若い選手もたくさんいること。プロの環境はそういう感じなんだなと思いました。でも、中3のときはまだちょっとうっすらしていたっていうか。『身近にあるな』くらい」
 
 齊藤選手がベルマーレのアカデミーに入った2009シーズンにトップチームは11年ぶりにJ1に昇格した。その後は昇格と降格を繰り返していたが、それでも90分衰えない走力と縦への意識の高さをベースにした湘南スタイルが確立されつつあった。同時にアカデミーでも同じスタイルのサッカーを目指す指導が行われ始めていた。
 
「自分が小5のときに1回J1に上がってから、落ちて上がってを繰り返していたんで、J1でやっているのもJ2でやっているのも見てました。ソリさん(反町康治監督:現松本山雅FC)が来て、曺さんが来て、スタイルができ始めて。中3のときにはもうできていたし、試合を見に行くのも楽しかったです。
 中1のときはあんまりわからなかったですけど、中2、中3のときは自分たちも前からガンガン行ってというサッカーをやってましたし、ユースに入ってからはもっと明確でした」
 
 ユースでは、さらにトップ昇格を意識した指導が行われる。
 
「ユースに入ってからは『プロの予備軍』っていうことを言われてましたし、自分たちの2コ上で前田(尚輝選手:現福島ユナイテッドFC)さんが高1から2種登録してトップに行っていて。ユースは2種登録もできる段階なので、プロと同じサッカーをしていた方がいいと思いますし、チームとしてもしていたんで、トップに参加したときもサッカーのスタイルで戸惑うことはなかったですね」
 
 アカデミーから一貫した指導が行われることで、選手自身も自分の未来が描きやすい。
 
「高校サッカーは実は結構憧れてました。だって、Jユースより目立つし、やっぱりいろいろ取り上げられるから。
 でも、中3のときにはトップのスタイルが確立されていて、こういうサッカーをやっているとわかったときに、ちょうど自分のストロングポイントを見つけ出して、それを売りにしていこうという気持ちでいたので、それなら湘南のサッカーが絶対にあっていると思いましたし、だからこそ自分は湘南でプロになりたかったんで、ユースに上がるときは迷いなく上がりました」
 
 身体は大きくはないが、コンタクトを恐れずボールを奪うことを得意としている。こうしたプレーが得意だと自覚させてくれたのは浮嶋コーチだった。
 
「今も昔もボールを奪うのが自分のストロングポイントなんですけど、最初はあんまり意識してなくて。敏さんが『ボールを奪うの得意なの?』みたいな感じで言ってくれて、それまでフォワードだったんですけど、ボランチにしてもらって。『これを特徴にしていこう』って思いましたし、言われました」
 
 ボランチを初めてやったのは、中学3年生のとき。試合のなかで相手とのフォーメーションのかみ合わせがあまり良くなかったことから齊藤選手をボランチにポジション変更して対応したのが始まりだ。
 
「前半と後半で変わって。初めてやって、そこからボランチをやりだして。奪って前に出ていくというのは、合ってるなって思いますし、ボランチになってよかったっていう気持ちです」
 
 湘南スタイルの申し子のようなプレーが特徴の齊藤選手。特にいろいろな所属の選手が集まる年代別の代表選でのプレーにその特徴が現れる。
 「湘南ベルマーレの齊藤未月ここにあり」という存在感を示したのが2015年に行われたU-16代表インターナショナルドリームカップでのフランス戦。1点リードで迎えた試合終盤、負けることはありえないとばかりに攻撃的な姿勢を見せるフランス代表にひるむことなく最後まで球際激しくボールを奪いに行った日本代表。自陣で奪ったボールをそのまま前に運んで仕掛けたカウンターに、自陣ペナルティエリア付近にいた齊藤選手はそのまま中央を走り抜け、スルーパスを受けてゴールを仕留めた。そのプレーは、まさに湘南スタイルを象徴するものだった。
 
「あれはやっぱり湘南でやっていること。あの時間帯でも走れたのもそうだし、勝っている試合でももう1点取りに行くっていう気持ちがありましたし。それが湘南スタイルだ、それが齊藤未月だって言われるのが一番の褒め言葉かもしれないです。チームとしてやっていることが出せているって言われるのが一番いいって曺さんにも言われましたし。
 やっぱり他の選手と一緒じゃダメ。代表だと技術があって上手い選手が多いですし、そのなかでボールをガッと奪いに行ったり、球際を強く行って走ったりっていう選手はそんなに多くはないと思うんで、それは大事にしていきたい」
 
 今後はどのような進化が見られるのか。ここからの成長もまた楽しみにしたい。

>一番近くて大きな目標はベルマーレから東京五輪へ