馬入日記

2020.03.05

【馬入日記:3月5日】成長意欲を止めず。石原広教選手インタビュー

200304-1今日もチームは馬入で元気にトレーニングを行いました。 集中力を高く保ち、いいトレーニングができています。
練習後、石原広教選手に話を聞きました。
まずは改めて、ここまでの試合を振り返って、感じていることを聞きました。

「浦和戦は負けてしまったけど、勝てた試合ではあったと思うので悔しい負けでした。自分のところで失点してしまったのですが、そういうところにJ1の隙をついてくるクオリティの高さを感じました。個人的には、自分のやりたいことは出せてはいたとは思うけど、最後のところでアシストするなり自分がゴールを決めるなり、ゴールに直結するプレーをもっと増やさなければいけないなと思います」

石原選手の仕掛けからPKを獲得するなど、サイドでの積極的な姿勢ありました。

「ただ、自分としてはもっと貪欲にゴールに向かうところを出してもよかったかなと思っています。仕掛けることはできたけど、シュートは打っていないので。仕掛けてクロス上げ切るとかコーナーを取るとか、もうひとつゴールに近いところでえぐるとか、そういったプレーをもっと出したい。悪い出来ではなかったし、やれるんだということはサポーターの方々に見せられたとは思います。自分の中でも自信がついた部分もありますけど、もっと結果に表したいです」

一昨年とはまた違った存在感を示しているように感じますが…

「自分の中では、2年前のJ1の時もやれてないとは思わなくて、なかなか試合に出られなかったけど、試合に出ればやれると思っていました。ただ、余裕が生まれて、もともとやれてたことがいまは簡単にできるようになったのかもしれないです。ボールを受けて、自分が起点となって攻撃を組み立てることや、くさびの斜めのパスを入れたり、ワンツーで崩すとか人を使えるようになったという部分はると思います。昨年、福岡でたくさん試合に出たことで、アイデアの幅が増えました。相手がきてもビビらなくなったというか。そこの余裕が出たかなと思います」と石原選手。

公式戦を2試合戦ってリーグは中断となってしまいましたが、この期間にチームが成長するために、どんな課題に取り組んでいるのでしょうか。

「浦和戦は特にそうでしたけど、相手のワンチャンスで点を取られてしまった。点を取られるような流れではなく自分たちのペースの時に取られてしまうという感じだった。2失点目は自分のマークに決められましたけど、セットプレーの流れを切れず、中途半端なプレーが続いての失点だったので、もう少しやれることはあったと思う。やっぱりJ1は隙を突いてくるのがうまいので、隙を作らないことが大切だと感じています。そういうところをもう少し突き詰めれば失点が減るのかなと思います」

中断中の気持ちの保ち方は難しさもあると思いますが…

「リーグ戦があるのとないのでは、気持ちの面で違いがないと言ったら嘘になりますし、今までこういうことはなかったので、難しい状況の中で練習しているとは思います。でも、他のチームは休みになっているところもあると思うんですけど、僕らは練習をしっかりやり続けて、個人としてもチームとしても成長するんだという意欲はまったく落ちていないと思います。チーム内での競争が激しいのでそこも大きい。成長を止めないような意識を保っているので、そこは心配していないです」と力強い言葉が。

再開後、どんなところを見せたいと思っているでしょうか。

「チームとしてやることは特に変わらないと思いますが、カウンターに対応するとか失点に関わる部分はいま意識して取り組んでいるので、細かいところの質を高めて、進化させていきたいと思っています。再開後、そういう部分を見てもらえたらと思います」

ところで、石原選手と齊藤未月選手の二人は、ご存知のとおりアカデミー出身選手ですが、浮嶋監督には中学3年生の時に指導を受けています。
石原選手にとっては、その1年間だけ指導を受けた監督、という存在ではなく、アカデミーダイレクターだった浮嶋監督から多くのことを学び、人生の岐路で導いてくれた恩師でもあります。

「僕がトップに上がれたのは、本当に敏さんの存在が大きいです。未月は早くから昇格が決まっていたと思いますけど、僕の昇格が決まったのは夏の終わりくらいだったので本当に上がれるかどうか、ギリギリだったんだと思います」

高校3年で二種登録となった石原選手、6月5日のナビスコカップ(ホームを福島で行った試合)の神戸戦でメンバー入りしました。

「デビュー戦のナビスコカップの時に、途中交代で出場したんですけど、もともと持っていたケガが出てしまって途中でまた交代してしまったんです。その時は、自分が悪いんですけど本当にもうトップに上がることはできないと思いました。そこから1ヵ月くらい練習参加もできなくなって絶望感でいっぱいでした。でもその時にも敏さんや監督だった曺さんにサポートしてもらって、もう一度、天皇杯でチャンスをもらいました。他のクラブならもう終わっていたと思います」

デビュー戦でプロの世界で戦うことの厳しさを痛感し、もうダメかもしれないと思ったところから這い上がってきました。
夏の終わり、浮嶋監督(当時ダイレクター)からずっと抱き続けた目標であったトップ昇格を告げられました。

「僕は敏さんがいなかったらプロになってないと思います。左ができるようになったのも敏さんのお陰なんです。もともと僕はサイドではなくて、センターバックの真ん中をやっていました。中3の時、サイズ的に厳しいと思って、敏さんに“サイドもやりたいです”と言ったんです。敏さんも分かってくれていて、たまに使ってもらえるようになって。その時に、サイドをやれるようになってプロを目指すなら、左もできないとダメだと言われたんです。そこから左足をめちゃくちゃ練習するようになった。ユースの時もそれがずっと頭に残っていたから、左を練習していました。ユースの時は3バックの左が多かったんですけど、そのポジションも中3の時に敏さんから言われていなかったらできなかったと思います」

石原選手が「僕は敏さんでできてるみたいなところありますね(笑)」と笑っていましたが、まさに、それほど大きな影響を受けてここまできました。

反対もあった福岡への期限付き移籍も「自分がしたい経験だったらするべき。遠回りしてでも成長できると思う」と背中を押してくれたそうです。

今シーズン、お世話になった気持ちをプレーで返したいと強く思っています。
その想いをプレーで表現できる時まで、まだ少し時間がかかりますが、いまはしっかりとトレーニングを積み、再開に向けて準備しています。