ボイス

【ボイス:2016年9月22日】奈良輪雄太選手

人との出会いに導かれて
夢だったトップチームへ加入

「SAGAWAの解散が決まったときは、単純にもうショックでした。プロから声がかかれば間違いなく行っていましたけど、それがない限りはずっとSAGAWAでやろうと思っていたので」
 
 気落ちする状況のなかではあったが、横浜FMで強化担当者からアピールの場として練習参加の誘いを受けた。
 
「週末の練習試合に出れば、Jリーグのクラブの関係者も来るから、F・マリノスに限らずいろんなチームに対していいアピールになるだろうからどうだ? みたいな感じで声をかけてもらって。1週間練習に参加して、最後のトレーニングマッチが終わった後に、もう少し見たいとさらに1週間練習に参加するよう言われました」
 
 結果として、2013シーズンからの横浜FMへの加入を掴み取った。
 もともと横浜FMのアカデミー育ち。思い入れは深い。まして念願叶ってのプロ入りだけに喜びはひとしおだった。
 
「SAGAWAの活動停止で、いろんな思いを持ってF・マリノスに入った。3年間SAGAWAで培ったものに自信を持って『よし、やってやろう』という気持ちだった」
 
 ところが、J1はまったく違う世界で、紅白戦にも出られない期間もあった。それでも
 
「大学4年のとき経験を思えば、今自分はJ1のチームにいて、F・マリノスのユニフォームを着て毎日練習できてる。紅白戦に出られないくらい大したことじゃない」
 
 と、自分を叱咤して練習に励んだ。公式戦の翌日に行われる練習試合は、ベンチ入りした選手たちから出場するので、ベンチ入り自体が遠かった奈良輪選手になかなかアピールの場は回ってこなかったが、それでも1度のチャンスも逃さない準備だけは積み上げた。
 
「練習試合のときに同じポジションの選手が体調を崩して出られなかったんですけど、そこでたまたま自分が出られた。その試合でちょっと評価してもらえて。
 その1~2週間後の公式戦で同じポジションの選手が出場停止になって、またたまたま自分が使われて。その試合でアシストして、試合も勝てたんですけど、そこから評価が上がりました。
 1年目の最後の方は優勝争いに絡んだリーグ戦の試合にも出られたし、天皇杯で優勝したピッチにも立っていましたし。一番下っ端からレギュラークラスの評価をもらえるまで成長できた年になりました」
 
 JFLからJ1といきなり舞台が大きく変化した。スタジアムの規模からサポーターの人数、それも万単位の人でスタジアムが埋まる。
 
「選手一人ひとりの質もやっぱりそれなりに違う。それでも慣れちゃえば、全然できるという感覚でした。慣れるまでがちょっと大変でしたけど。それよりも自分にとってサッカー選手は、1度目に来たチャンスをものにするかしないかが大きいんだと実感しました」
 
 運を引き寄せるには、その準備ができていることが必要だ。だからこそ、その時がいつきもていいように毎日毎日意識しながら練習した。
 
「公式戦のピッチに立った瞬間も、不安はあったけど自信を持ってプレーできた。だから試合に出るチャンスが来たのは必然と言えば必然だったんだと自分では思えました」
 
 横浜FMでの2年目は、すべての試合でメンバー入りし、公式戦も約半分は出場機会をつかんで気持ちの面でも充実したシーズンを送った。
 ところが3年目の2015シーズンは監督の交代があり、怪我も重なって試合出場の機会が減ってしまう。シーズン終盤になると、2016シーズンを迎えるにあたって選手としての巻き返しは誓っていたが、その場としては違うチームを選ぶというのも選択肢の一つという考えも芽生えてきた。

>かつての仲間と真剣勝負 勝利したからこそ知り得た喜び