History50年の歩み

ベルマーレの道程は深い歴史を誇る
藤和不動産サッカー部として発足
フジタ工業サッカー部を経て'93年からベルマーレ平塚となった
名門としての栄光を刻む一方
消滅危機などの挫折も味わった
Jリーグ「百年構想」の下統合型スポーツクラブを目指して
”過去”は未来の礎となっている

フジタサッカークラブ
日本サッカーリーグ2部3位(全16チーム)
古前田充監督就任(〜95年)

チーム名をフジタサッカークラブに改称
1990
日本サッカーリーグ2部優勝(全16チーム)

ニカノールヘッドコーチ就任 ピッタが18アシストでアシスト王を獲得
1991
ジャパンフットボールリーグ1部3位(全10チーム)

Jリーグに準会員加盟 10月、株式会社フジタスポーツクラブ設立
1992
ベルマーレ平塚 Jリーグ正会員加盟決定
ジャパンフットボールリーグ1部優勝(全10チーム)

Jリーグ正会員加盟が決定/Jリーグ開幕より1年遅れてJリーグ昇格が決定 チーム名をベルマーレ平塚に改称し、社名を株式会社ベルマーレ平塚に変更
1993
Jリーグサントリーシリーズ11位、ニコスシリーズ2位、年間総合5位(全12チーム)
第74回天皇杯優勝

田坂和昭がJリーグ新人王を獲得 名塚善寛、ベッチーニョがJリーグベストイレブンに選出
1994
第74回天皇杯優勝
Jリーグサントリーシリーズ7位、ニコスシリーズ14位、年間総合11位(全14チーム)

第6回アジア・カップウィナーズカップ選手権優勝 Jリーグ12チーム中11チームからオファーを受けた韮崎高の中田英寿が加入
1995
Jリーグ11位(全16チーム)
アジア・スーパーカップ準優勝
トニーニョ・モウラ監督就任
9月、植木繁晴に監督交代(〜98年)
1996
中田英寿
Jリーグ1stステージ4位、2ndステージ9位、年間総合8位(全17チーム)

中田英寿がJリーグベストイレブンに選出 世界選抜に中田英寿、洪明甫が選出。1つのクラブから2選手の選出は世界初 中田英寿がAFC年間最優秀選手、全国のサッカー担当記者が選ぶ年間最優秀選手に選出
1997
Jリーグ1stステージ12位、2ndステージ12位、年間総合11位(全18チーム)

都並敏史が功労選手賞を受賞 中田英寿がAFC年間最優秀選手に選出 6月、W杯フランス大会に日本代表として中田英寿、 呂比須ワグナー、小島伸幸の3選手と韓国代表として洪明甫が出場。 11月、フジタが撤退を表明
1998
Jリーグ1stステージ16位、2ndステージ16位、年間総合16位(全16チーム)
J2降格(11月20日、vs浦和 @駒場スタジアム)
上田栄治監督就任
8月、古前田充に監督交代

12月、株式会社ベルマーレ平塚からチーム経営を引き継ぎ、株式会社湘南ベルマーレ発足 サポーターと地域の方々による存続運動が展開された
1999
サポーターと地域の方々による存続運動