ニュース

【リアル】鈴木 章斗

19歳の現在地

2トップの一角やサイドボランチ、ときにサイドハーフを担い、前線でハイプレスの端緒となれば、攻めてはビルドアップに携わり、ゴール前にも躍り出る。プロ1年目の昨季は出場も儘ならなかったが、粛々とトレーニングを重ね、自身を磨き続けた。苦しくも前向きなその日々を経て台頭を示す鈴木章斗の、過去と現在、そして思い描く未来像。

■わがままなプレイヤー

――はじめに、サッカーを始めたきっかけを教えてください。

鈴木 兄2人がサッカーをやっていたので、自分も幼稚園ぐらいから少年団に入っていました。始めたのは3,4歳ぐらいじゃないですかね。最初は覚えていないです。当時ソフトボールも一緒にやっていたんですよ。父が地元のソフトボールの監督で、僕は小さい頃からサッカーとソフトボールを両方やっていた。サッカーの監督にはどちらかにしろと言われていて、小4のときに父が監督を辞めることになったので、自分的には正直どっちでもよかったんですけど、じゃあサッカーやろうかなと。小4からはサッカー1本ですね。

――運動神経が良いんですね。

鈴木 はい。球技ならけっこうなんでもできます。

――ガンバ大阪のジュニアユースに入ることになったいきさつは?

鈴木 小6のときに練習に呼ばれて行きました。初めてで緊張したのか分からないですけど、1回目はなにもできずに受からなかった。それでももう1回呼ばれて、そのときも手応えはなかったですが、合格をもらいました。じつはセレッソ大阪も一度練習に行ったんですけど、1回で落ちました。

――憧れの選手は当時いましたか?

鈴木 中1の頃はパトリックですかね。中学に上がってガンバの試合を観るようになって、すごいなって。外国人選手のすごさを感じていました(笑)。

――自身はどんなプレイヤーだったのでしょうか。

鈴木 小学校の頃はFWやボランチで試合に出ていました。中学でサイドバックになり、1年間左サイドバックをやりました。足元はけっこうあったので、ビルドアップのときに取られる感じはあまりなかったですね。でも最初はスタメンでリーグ戦に出ていたんですけど、身長が150cmもなかったので、能力の高い選手が多いセレッソと対戦したときに、僕はメンバーを外れた。そこからはスタメンではなくなりました。中2からAとBに分かれて、僕はBチームでサイドバックをやっていた。でも中2の終わりかな、なんかおもしろくなくて、試合に出られないなら自分のやりたいポジションをやろうと思ったんですよ。ドリブルがけっこう好きやったので、コーチに「サイドハーフをやらせてください」と言いに行ったら、また下からやっていく感じになりました。

――コーチの目には反抗的な態度に映ったのかもしれないですね。

鈴木 当時は守備をやらずに攻撃だけやっている感じで、ずっとオラオラしてましたね(笑)。「早よパス出せや」みたいな、「自分が自分が」みたいな。なんか分からないけど、取られへんという自信があったんですよ。実際はめちゃくちゃ取られていたんですけど(笑)。ほんとにわがままでしたね。

――それでも許されていたんですか?

鈴木 いや、たぶん監督も僕の性格を分かっているので、それでメンバーを外されたというのはあったと思います。中3のときは、Aチームにはいたけどベンチ外でした。練習で監督になにか言われたら、反抗的な態度を取ってしまうんですよ。それで2,3回グラウンドから出されたこともありましたね。

■コンバートは突然に

――ガンバ大阪のユースに上がれなかったことはどのように受け止めたのですか?

鈴木 ユースに行けばプロに近いと言われていたから行きたいとは思っていました。ただ、当時は勉強が嫌で、ユースに行くと通信の高校に入るので、勉強しなくていいと思ったんですね。だからユースに上がりたいという気持ちも正直ありました。ユースに上がれるか上がれないかは微妙なところだったんです。夏の大会の初戦にスタメンで出させてもらって、でもあまりよくなくて、2回戦からベンチになり、その大会が終わったときに、ユースには上がられへんと言われました。

――そうして阪南大学高等学校に進学します。

鈴木 特待で行かせてもらいました。
全国(高校選手権)に出られる高校に行きたいと思い、当初は四国や中国地方のチームに行こうと思っていた。中学まで繋ぐサッカーをしていたから、いちばんはそういうチームに行きたいなと思っていました。でも練習参加してみると蹴るチームが多く、しっくりこなかった。そのとき阪南がプレミアリーグにいて、試合を観ていたので、それなら自分が入って(繋ぐサッカーに)変えればいいかと思って決めました。

――本気でプロを志したのはいつになりますか?

鈴木 高校ですかね。高卒でプロになる人を見ていると、自分にも可能性があるんじゃないかと思った。高3になったら間に合わないから、高2までに結果を出して目を付けてもらわなければと考えていました。

――高校時代のポジションを教えてください。

鈴木 1年のときはサイドハーフをやっていました。全然ボールを取られる気がしないし、ゴールも決められるけど、試合に出て3年生と対戦すると、なにもできなかったですね。「サッカー嫌やな」って思ってしまう感じでした。2年になると、キャプテンの先輩とポジションが一緒だったので、またベンチかなと思っていた。でも京都サンガとの練習試合のときに、最初はベンチスタートで、試合途中にいきなりFWをやってみろと言われた。出てみると、意外とヘディングも勝てたし、まあまあできて、そこからFWになりました。

――もともと足元は得意だった。

鈴木 自信はありましたね。中学時代、パスとか技術練習が多かったから、そこで身に付いたのかなと思います。

――ヘディングも勝てたんですね。

鈴木 それはソフトボールをやっていたことが大きいかもしれないです。落下点が分かることが活きたかもしれない。

■「ああ、そうやな」の精神

――突然のコンバートで結果を残し、そこからFWになって、2年と経たずに高校選手権で得点王になり、プロの道が開けます。プロになるまでの自身の歩みのなかで、どこがいちばんポイントだったと思いますか?

鈴木 うーん……やはり高2じゃないですかね。

――それはコンバートされたこと?

鈴木 それもあるんですけど、いちばんは人として変わったことかもしれないです。

――というと?

鈴木 コーチの先生が審判をやると、自分のチームのファウルをあまり取ってくれないじゃないですか。そういうときに、「なんでファウル取らんねん」って、僕は中学時代から、高校でも1年の頃からずっと言ってました。それで2年の終わりに新チームになって練習試合をしたときに、僕のチームの先生が審判をやっていて、完全にファウルなのに取ってくれないから、「全然ファウル取らへんやん」って、わざと聞こえるように話していたら、そこから一気にスタメンを外れて、Aチームにはいるけどベンチ外になった。それで「ああ、もうええわ」「大学に行ったとしてもサッカーはもうやらんでいいかな」みたいになったんですよ。ほんまにやる気をなくして、紅白戦ではサブ組の空いているセンターバックとかをやっていた。そうしたらスタメンの選手たちから、「いや、おまえFWやれよ」と言われて、「じゃあやるか」と。それでやってみたらしっかり点を決めた。そこから審判に対して文句を言うのは終わりました。そこでいろいろ変わりましたね。

――なぜ変わったのでしょう。

鈴木 なんでですかね……。

――プロになりたいという意志が踏みとどまらせたのでしょうか。

鈴木 いや、そのときはなかったですね。プロは無理やと思っていた。……でも、コーチに言われる言葉が響いていたのはあるかもしれないです。そういう態度でずっと練習していて、「それならもうやるな」と言われていたし、当時の俺には影響力があったらしくて、「チームの雰囲気を悪くもするし良くもする」「おまえがそういう態度を取っていたら全員そうなるし、いいときはチームもよくなっている」と言われて、「ああ、そうやな」って。コーチに言われた言葉が自分のなかで刺さっていたんじゃないかなと思います。「その態度を続けるんやったらもう練習やるな。Bチームに行け」と言われて、やるしかないなと思ったんじゃないですかね。

――言われてすぐに改心したわけではないけれど、じつは心の奥に浸透していた。

鈴木 そうかもしれないです。何回も言われたことがあるので。そのたびに、「ああ、そうやな」と思っていた。俺、人に言われたら意外と「ああ、そうやな」ってなるんですよね。

――自分でも分かっていたんですね。

鈴木 はい。でもサッカーをやっていると自然と感情が出ちゃうから。

――その後は?

鈴木 (3年になって)4月からリーグ戦が始まるんですけど、開幕2週間前ぐらいまではサブのほうにいました。スタメンを外れた悔しさもあって練習は普通にやっていたので、開幕1,2週間前にスタメン組に入って、そこで自分の気持ちがいつも通りに戻った。リーグ戦が始まって、出るからには勝ちたいし、やるしかない。そのときはまだキャプテンが決まっていなかったんですけど、1-0で勝った試合の次の日に、「いちばん勝つ気持ちが見られた」と言われて、そこから俺がキャプテンになりました。

――監督から指名された。

鈴木 はい。自分の態度が悪かったから、キャプテンはさせられないと言われていたので、「え?」みたいな、「やらせないって言ってたやん」と思いながら(笑)。でもキャプテン自体は嫌いじゃないし、「やりたいな」「べつにやらんでもいいかな」みたいなところもあったけど、うれしさはありました。

■指揮官の教えと目指す選手像

――そうして高校選手権得点王の肩書とともに昨年ベルマーレに加入しました。J1である意味は大きかったですか?

鈴木 それもありましたけど、湘南は若い選手が試合に出ているイメージがあったし、実際、(平岡)大陽くんとかがたくさんプレーしているのも観ていたので、試合に出られるかもしれないという気持ちは正直ありました。ルヴァンカップがあることも大きかったですね。

――山口智監督の印象について聞かせてください。

鈴木 細かいところまですごく大事にしている監督だと思います。すごいなと思うんですけど、たまになにを考えているのか分からないところも自分のなかではありますね。チームのやりたいことは分かるんですけど、いまなにを考えているんやろう、どこを見ているのかな、みたいな(笑)。

――印象に残っている言葉などはありますか?

鈴木 ゴールに対する確率という言葉は、自分のなかで「ああ」と思いました。自分で行ってシュートを決めるのもいいんですけど、もし2対1の数的優位の状況だったときには横にパスすればもっと簡単に決められる。それまでは自分のなかで、「FWだから行く」「ストライカーならここはゴールを狙う」という考えがあって、それも必要かもしれないですけど、確率と言われたときは、「ああ、たしかに」と思いました。

――ストライカーであるまえに、チームを考えるようになった。

鈴木 そうですね。勝つための選択って言うんですかね。ただ、最近は逆にそれを選び過ぎているときもあるんですけど。あと、ボールを出す足とかはこれまであまり言われたことがなかったので、だいぶ意識するようになりました。

――プロ1年目の昨季はなかなか試合に出られませんでしたが、出場に関わらず自身の成長を感じていますか?

鈴木 はい、去年1年間やってきて、だいぶ成長は感じられていますね。チームの練習や紅白戦をやっていると、試合に出たときにプレスの強度も感じない相手のほうが多いかなと思います。

――昨季なにかを掴むきっかけがあったのでしょうか。

鈴木 どうなんですかね。ただ、試合に出たいという気持ちはずっとありました。シーズン序盤に試合に出てなにもできなかったことが自分のなかではいちばんの心残りで、もう1回試合に出てプレーしたいという想いがずっとあった。練習試合で結果を残せばなにかあるんじゃないかと思っていたし、コンディションがよければ使ってくれるかもしれないという希望が自分のなかにあって、1週間、また1週間と、ずっとやれていたのかなと思います。なんて言うんですかね……出られへんと分かっていても、普通にがむしゃらにやっていた感じですね。

――昔の自身とはずいぶん変わりましたね。

鈴木 そうですね。昔だったら、早よ移籍したいとか思っていたかもしれないですね(笑)。

――鈴木選手の武器は何ですか?

鈴木 縦パスを受けてターンして時間をつくって、というプレーが自分の特徴だと思うんですけど、2トップでは自分のよさを消して相方のよさを出すほうが流れがよくなるときもある。結局は、なんでもできることが自分の持ち味かなと思いますね。特徴はなにと言われても自分では分からないし、いまはなんでもできることがいちばん目指すところかなと思っています。

――町野修斗選手とタイプが似ているかもしれないと山口監督が以前話していました。町野選手のプレーを参考にしているところはありますか?

鈴木 けっこう見ていますね。全然ボールを取られないし、「ああ、ここでこうトラップしたら行けるんや」というのは見ていて思いますね。

――いま、どのような未来を思い描いていますか?

鈴木 まずはこのチームでスタメンになって試合に出ることがいちばんの目標ですけど、それができたら一度は海外に行って経験してみたいなという気持ちはありますね。海外で経験を積んだほうが日本代表に呼ばれやすいのかなと思っているので、湘南でスタメンを掴み、結果も残して海外に行けたらという気持ちはあります。

――今季ここまでの自分自身の評価と、ここからどうありたいか、最後に聞かせてください。

鈴木 試合に絡めているのはいいことですが、なかなか自分の持ち味を出せていないので、そこはもっとやらなければいけないと思っていますね。まだまだやれると思っています。

TEXT 隈元大吾
PHOTO 木村善仁(8PHOTO)