ONLY ONE STORY

35 DF SHIBATA TORU

MY STORY

辿り着いた自分の原点

福島に生まれ育ち、小中と、地元の街クラブでプレーしていました。高校に進学するにあたっては、レベルの高い環境に身を置きたかったので、高体連やJクラブの下部組織など県外の強豪に行きたいと考えていた。中学の監督にその話をしたところ、知り合いがいると、紹介してもらったのが湘南と当時ユースを指導されていた時崎(悠)監督でした。

当時は寮がなく、やまいち旅館が経営しているマンションに静岡から出てきた選手と2人で住みました。1年目は苦労も多かったですけど、慣れてからはすごく楽しかったし、ひとりでなんでもできる感覚もあり、その意味では自立にトライできた。プレーはもちろん、人間性の部分でも成長できたと思います。

自分はこれまで、いろんなポジションでプレーしてきました。最初はFWか左サイドハーフをやり、小学校の途中からボランチになった。ユースに入り、1年目はボランチやシャドー、2年目は3バックの左、3年目は3バックやボランチ、ウイングバックなどでプレーしました。ポジションがよく変わるので、誰かを参考にすることは正直なかったですね。でも菊池大介さんは輝いて見えました。

トップに上がれなかったのは、シンプルに実力が足りなかったと捉えていました。その後早稲田大学に進学し、1年目はボランチやサイドハーフ、2年目からはずっとサイドバックでプレーしました。

僕はどのポジションも器用にできるけど、突き抜けた特徴がなかった。それはユースでも言われていたので、大学4年間は自分がなにで生き残るかを考え続けていました。1年目はドリブルやシュートを磨き、サイドバックになった2年目からはクロスとハードワークに目を向けて、戦う姿勢や走力など湘南で育った自分の原点に辿り着いた。結果が求められる世界なので、とくに3、4年目はゴールに関与するクロスにこだわり、自分の武器にしました。

MY ASPIRATION 2023

感謝の想いを結果に

大学3年のとき、一度だけベルマーレの練習に参加しました。その後、去年の4月に前十字靭帯を断裂し、そこからずっと試合をしていなかったので、オファーを受けたときは複雑な気持ちでした。自分が育ったクラブに帰れる喜びはもちろんあったし、行きたい気持ちもすごく強かったですけど、完全な状態で復帰するのは12月か1月の予定だったので、そこからコンディションを上げていけるのか、いきなりJ1の舞台でやれるのか、不安がありました。

実際、始動すると、スピードも、それに伴うクオリティも、コミュニケーションの質も、すべてにおいて自分が思っていた以上にレベルが高い。適応できれば自分のよさを出しやすいと思うし、やれる自信もあるので、1日も早くこの環境に慣れることが直近の目標です。そのうえで、試合に出て自分のプレーでチームを勝たせるなど、感謝の想いを結果に繋げていきたい。かなりイレギュラーな状況で加入したと思っているので、いちばん下の立場であることをしっかりと受け止めて、もっと貪欲にやらなければと思っています。

去年は1年間ほんとに苦しかったので、まずは怪我しないことを念頭に置きたい。4年かかりましたけど、ようやく戻ってこられたので、この環境を存分に楽しんでサッカーしたいし、勝ってこのクラブとともに前に進んでいきたいですね。