ONLY ONE STORY

32 DF MATSUMURA SERE

MY STORY

-人生が変わるような

中学の時は帝京長岡高校の下部組織のようなクラブチームでプレーしていました。グラウンドも一緒で、自分たちの練習の前に高校生が練習をしているような環境だったので、すごく憧れを抱いていました。
推薦をもらって高校に入れましたけど、2つ上の学年くらいから選手権でベスト4に入り始めるくらい強くなっていて、入った時はとても高いレベルだったと思います。

憧れだった選手権の舞台には2年生の時から立たせてもらいました。
あのピッチに立ってみて感じたのは、人生が変わるというか、あの場に立たなければ味わえないものがあると感じました。
多くの注目を集めたり、トーナメントということもあって緊張感がありましたし、1試合勝つと負けるとではチームとしても個人としても全く違うので、そういった中で戦うということは大きな経験でした。

大きなケガをしてしまって12月の中旬頃に復帰をしました。大晦日の試合には間に合いましたが本当に時間のない中での調整でした。
1・2年の時に2年連続でベスト4まで行って、自分の代で決勝へ行って優勝しようという目標があったので、結果としては悔しいという気持ちが一番強くあります。チームとして掲げていた目標が高い分、悔しさも大きくなりました。

「プロ」ということは、ずっと言葉にしていたり、書いたりもしていたんですけど、とても高い壁だと思っていました。
でも、それに見合う努力は人一倍やってきました。やり続ければ叶うと自分は信じていて、それが3年目でちゃんと叶い、今ここにいられるということが高校3年間の大きな財産だと思います。

もちろんケガや精神的な部分でも苦しい時期というのはありましたが、やり続けたことが今に繋がっていると思います。

実はディフェンダーになったのは高校2年の時なんです。
小、中とずっとボランチや前のポジションをやっていました。左利きである程度ボールを蹴れていたので、高校2年の時の紅白戦で突然「やってみろ」と言われてやったのが最初で、そこからずっと今のポジションです。
最初はすごく嫌でした(笑)。守備が全然得意じゃなかったので「センターバック」と言われて、1回聞き直したくらいです。

でもやっていくうちに、ずっと前を向いて自由にパスを出せるので、そういう部分で楽しさを感じていきました。守備を理解することが一番難しくて、それは高校の監督やチームメイトに聞きながら必死にやっていました。

MY ASPIRATION 2022

-学ぶことの多い日々

今、プロとしての一歩を踏み出して、日々のトレーニングの中では身体もきついんですけど、それ以上に頭を使う練習が多いので、やっとついて行っている感じです。早く慣れなければ、と思いますが本当に学ぶことが多いです。

特に、自分のポジショニングというのは湘南にきて180度変わったなと思います。意図があってのポジショニングというのを自分でも常に考えなければいけないので、まだ理解し切れていない部分もあるんですけど、早く自分の立つべきポジショニングを見つけなければいけないなと思っています。

ひとつ上の聡くん(田中選手)からはすごく刺激を受けます。
自分も左利きというのもありますし、聡くんが去年つけていた背番号を受け継いだということもあるので、聡くん以上の選手になれるように、試合に出て活躍したいと思っています。
長短のパスやキック、ビルドアップという部分は自分の一番のストロングだと思いますし、負けたくない部分です。
チームとして5位以内という目標を掲げていますが、そこに貢献できるような選手になりたいと思っています。

また、高校ではサッカーだけでなく生活面なども厳しく指導してもらい、正してもらいました。
プロになって自立する中でも、そういう部分をしっかり継続できるように心掛けていきたいと思っています。
これまで指導してくださった指導者の方や両親に、恩返しできる時がきたので、試合に出て返していきたいです。