PARTNERパートナーとの取り組み

SHODAN -湘談-

親会社撤退や震災などによる危機を共に乗り越えてきた歴史から紐解く。
サン・ライフとベルマーレが湘南地域で活動してきた背景と今後の展望

株式会社サン・ライフホールディング ×湘南ベルマーレ

ホテルサンライフガーデンを運営する株式会社サン・ライフホールディングは、ベルマーレ平塚時代よりクラブを支援してきた。湘南対談企画「SHODAN-湘談-」第3回は、1999年の存続危機をはじめ、ベルマーレを長年にわたり支え続けている同社の竹内恵司代表取締役会長をお招き。眞壁潔・湘南ベルマーレ代表取締役会長との対話は、地元愛のにじむものとなりました。 以下敬称略

――紐解けば、株式会社サン・ライフホールディングとベルマーレの関係は約30年に及びます。

眞壁 そうですね。なかでも、存続危機のときにご支援いただいたご恩は大きいです。当時、ベルマーレを潰さないために、平塚市長の吉野稜威雄さんや国会議員の河野太郎氏が中心になって動き、地元の名士の方々に声をかけて存続検討委員会をつくった。湘南ステーションビル株式会社社長の室賀實さんや平塚信用金庫理事長の古屋守久さん(故人)、そして竹内さんにも最初から役員をやっていただきました。僕は平塚商工会議所青年部としてその末席に座ったんだけど、その後クラブを手伝う側になったので、今度は地元の皆さんに「浄財をいただけますか」とお願いする立場になって(笑)。当時ベルマーレはお金がないので、役員会もサンライフガーデンの部屋を借りて食事まで用意していただきましたね。たぶん部屋代ぐらいしか払ってないんだけど、それも全部竹内さんにご協力いただいて。

竹内 そうだったかな(笑)。どんなに成績が悪くても潰すわけにはいかないですからね。とにかく赤字にならないようにしなければいけなかったから。

眞壁 僕らは薄っぺらい数字しか出せないんだけど、それに対して皆さんいっさい小言をおっしゃらず、とにかく地元のために潰さないように頑張りなさいと応援していただきました。そこが起点で、約20年でルヴァンカップのタイトルを取れて、今年もJ1でやらせていただいている。竹内さんはまさにその生き証人であり、中心的な存在です。

――ベルマーレの存続が危ういことを知り、竹内さんとしても「これは大変だ」と。

竹内 私はサッカーのことはあんまり知らなかったですよ。それで、予算はどのぐらいかかるのか聞いて。いまでも覚えてますよ。年間3億円台でしたよね。

眞壁 存続検討委員会では、3億後半ぐらいならできるんじゃないかと話していました。実際、3億後半ではチームは成り立たないけど、J2に降格した年はJリーグの分配金を充てられたので、あと3億くらいなんとか頑張りませんかと皆さんにお願いした。太郎氏は「潰してしまったら二度とできない。平塚の恥になるからなんとかすべきだ」と、積極的にやりましたね。

竹内 私らも地元がまとまって応援すればなんとか存続できるかなと思ってね。

眞壁 大変でしたよね。

竹内 うん。スポンサーがいないのに引き継いだのは、あのときぐらいですよね。

眞壁 ほんとに。サンライフガーデンで催す年末恒例の「感謝の会」は、いまでこそたくさんの方に集まっていただいて、2回に分けるほどじゃないですか。でも最初の頃は会場がスカスカで、皆さんに順番に挨拶してもらってもまだ時間が余るという(笑)。

竹内 そうだったね(笑)。

眞壁 会費制でやっても採算が取れないから、だいぶ安くしていただきました。しかも、その会費の何割かはチームに入れていただいて。そうやって、直接的にも間接的にもたくさんご支援をいただきました。そう、アジエルのお父さんが来日している間に亡くなった際にも大変お世話になりました。お父さんの身体を傷つけずにブラジルへ帰したいというご家族の想いに沿って、エンバーミングを施していただいた。あのときは、エンバーマーを育成する学校の運営をしている竹内さんの息子の圭介さんが飛び回ってくれました。

――地元の方々の尽力でクラブは存続し、その後2009年に昇格を決めるまで、J2で10年間を過ごしました。

竹内 そうでしたね(笑)。観客も多いときで5千人ぐらい?

眞壁 多くて5千人ですね。5千を超えると、「入ったなあ」って選手まで言ってましたから(笑)。少ないのが雨の鳥栖戦で、そのときは2,300人でした。僕らも、まずは潰してはいけないという気持ちでしたね。

竹内 親会社がなく、市民だけでなんとか支えているクラブは、ベルマーレしかなかったんじゃない?

眞壁 後ろ盾がない、要は決算書が債務超過になったら終わってしまうのは、当時うちだけですね。震災の2011年に一度だけ債務超過に陥ったんですよ、約7千万円。その年コーチだった曺(貴裁前監督)が翌年監督になり、若手を育ててJ2で大躍進するんですけど、債務超過だとJ1に上がれない。だから秋口には債務超過を脱しなければいけない。僕は竹内さんにもお願いに行きましたけど、7千万が必要なところ、最終的には9千万ほど集まったんですね。存続危機からコツコツやってきて12年経ち、おかげさまでそのぐらいのお金を集められる体力にはなっていました。

――苦しい時代を知っていればこそ、いまのベルマーレに感慨深いものはありますか?

竹内 そうですねえ。当時は選手の給料や必要経費を引いたらほとんど余裕なかったもんなあ。

眞壁 はい。ほんとになかった。大神から馬入に練習場を引っ越してきたときもね、平塚まで電車で来る選手がいることを知った竹内さんが、「それならベルマーレの選手やコーチはサンライフガーデンのシャトルバスにタダで乗っていいぞ」と言ってくださって(笑)。選手も、「なんだよ、ケチくさいな」とは誰も言わなかった。こうやってみんなで一生懸命支えてくれているんだと、たぶん分かってくれていたんでしょうね。だから給料や施設に文句を言うことは、うちの文化にはなかったんですよ。

竹内 たしかに、そうかもしれませんね。

――いまのお話のとおり、ベルマーレは地域に支えられてきた市民クラブです。地元の皆さんがベルマーレを支える背景には、なにがあるのでしょうか。

竹内 そうだねえ……。スポンサーがいないならみんなで相談するし、ベルマーレも一生懸命旗を振ってくれているから、「応援しようや」ってことですね。私は出身が群馬なんだけど、平塚で商売をやるようになって、この地域はほんとにいいところなんですよ。

眞壁 分かります。僕も平塚の外で商売する期間が長かったから、戻ってきてあらためて、我が故郷はいい街だなと思いました。それを思うと、存続危機のときも、「平塚にいいものがあるのに、このまま潰したらもったいないじゃないか」という共通の想いが、竹内さんをはじめ、皆さんにありましたよね。

竹内 そうですね。見渡せば海があり、山があり、なにより平塚は人柄がいいですよ。だから信頼できるし、なんとか潰さないようにしたかったよね。いま予算はどのぐらいですか?

眞壁 最大で26億です。当時を思うと、よくここまで来たなと思いますね。やはりそれは、三栄建築設計さんやRIZAPさんに株を持っていただくようになったことが大きいですね。資金自体がショートしてしまうと、せっかく皆さんが一緒になって支えてくれたクラブが傾いてしまう可能性があるわけですが、毎年右肩上がりでなくとも投資は少しずつ続けていかないといけない。以前、老舗製菓会社の方が話していましたが、「変わらぬ味」と言われるものでも、作り手は毎年変えているんだと。人間の舌は慣れるから、まったく同じ味のままだと飽きられてしまう。食生活の変化も踏まえて、毎年変えているそうなんです。

竹内 うちも外から見ると分からないかもしれないけど、これまでは結婚式やご葬儀、七夕の飾りといったことだけだったのが、いまは保育園や介護施設、葬祭専門学校などもつくり、ひとがオギャーと生まれてから必ず辿る道のなかで必要となることをお手伝いしようと事業の幅を広げています。まあ商売ですから、いろんな失敗もしながら、致命傷にならないようにやり直しながらね。そうしていまは介護や保育の業績が伸びてきて、八王子のほうでは霊園運営もやっていて。眞壁さんにもまたいろいろ教えてもらわないと(笑)。

眞壁 いえいえ、そんなとんでもないですよ(笑)。今季ホームゲームでご提供いただいているシェフのステーキ弁当や選手プロデュース弁当も新しい取り組みですよね。

竹内 あれ、わりと評判いいんですよ(笑)。なるほど、こうやって器に入れても美味しく食べられるんだなあと、そんなふうに感じて。経営環境はなかなか厳しいですけどね。

眞壁 やはりいまは結婚式も葬儀も数が減っているんですよね。

竹内 うん。結婚式もほとんど、ねえ……。仕方ないですよね。

――コロナ禍という初めての状況に直面して、思うところはありますか?

竹内 たとえば結婚式も、時代とともに少しずつ変わっているし、地域によって多少習慣は違うけれども、従来やってきたことがコロナによっていとも簡単に覆ってしまう。それぐらいものすごいインパクトなんですよ。

眞壁 なるほど。

竹内 だからコロナが収まったからといってもね、そういった生活の習慣は、私は元通りにはならないと思う。むしろコロナによって、10年ないし15年ぐらい変化が早まったんじゃないかなあ。

眞壁 たしかにそうかもしれませんね。

竹内 うちも会食を少人数にしていただいたり、先ほど話したようにお弁当としてお届けしたり、仲間内でこじんまりやる形を一生懸命提案しているけれども、結婚式もご葬儀もまったくやらないということではないんですよね。家族だけ、または身内だけで集まって食事するという形が、コロナをきっかけにだんだん習慣化するかもしれない。いまの状況が3年続いたら完全に変わってしまいますよ。1年なら元に戻りますけど、人間の生活ってそれが当たり前になるとそうなってしまうんだなあ。だから今後どうなるかなと思いますね。

――厳しい経営のなかで、ベルマーレをスポンサードするのは大変ではないですか?

竹内 ええ、大変ですよ(笑)。

眞壁 ありがとうございます。湘南ベルマーレとなり、ホームタウンが9市11町に広がって、おかげさまでいまや約650社からサポートしていただくまでになりました。それはほんとうにありがたいこと。そこで我々がこの湘南エリアの企業の皆さんになにを返せるかというと、日々の活動を通じて育んだたくさんのパイプを活かし、ベルマーレを介して皆さんを繋げることができる。この「SHODAN-湘談-」という企画もそうですが、我々を介してご紹介することによって、地域が活性化し、そうしてクラブの価値はもっと上がるのかなと思っています。ベルマーレが仲人役を務めて皆さんの商売を繋げられたら、すべて地元資本でできるようになる。竹内さんが言われたように、平塚を中心にこの湘南エリアはほんとうにいいところだと思うし、地域が主導権を持っていることが本来あるべき姿だと思いますね。

――「湘南ベルマーレ」になった意味でもありますね。

眞壁 そうですね。2000年当時、会見で、7市3町のホームタウンをどのように決めたのかという質問が出たときに、太郎氏が説明したあと、「将来『湘南はどこか』と聞かれたら、『湘南ベルマーレのホームタウンがすべて湘南です』という時代になります」と笑いながら言ったんだけど、それもまたあるべき姿だと思います。

竹内 やはり地域のみんなで一緒にクラブを応援することは、精神的な豊さに繋がりますよね。私が群馬から出てきて平塚はいいなと思ったように、湘南には海があり山があり、冬の寒さだってそう厳しくない。最近は人気も上がっているんだよね。空き地だったところにどんどん家が建ち出したりして。

眞壁 いまはZOOMで会議する時代だから、実際、物件は売れているそうですよ。うちの選手も結局家を建てるんです。奥さんや家族はみんな、ここに引っ越したいと言う。全国を渡り歩くサッカー選手たちが、都心ではなく湘南エリアを選ぶのは、きっとそれだけ地域にポテンシャルがあるということなんです。コロナの影響で商売はみんな厳しくなっているけど、いま竹内さんがひとに寄り添う仕事をやられているように、我々もこの湘南エリアに生きているクラブとして、これからも地域を大事にしていきたいと思います。

――約30年に及ぶパートナーシップ関係を今後どのように育んでいきたいか、最後に聞かせてください。

眞壁 これまで皆さんにコツコツと応援をいただいて、我々もコツコツとやってきました。存続危機の当時、竹内さんをはじめ、皆さんに言われた「地域のためにやりなさい」という入口をあらためて思います。やはり、この街があり、ひとがいて、クラブがあるということなんですよね。それはこれからも変わらず肝に銘じて続けていく。あとは競技場ですね。もう古いし、民間から僕が資金を集めてきて、子どもの頃から心のよりどころになるようなスタジアムをこの湘南の地につくり、そこへ行けばサン・ライフさんの美味しい食事を食べることができる。そんなふうに、中身は地域のひとたちが盛り立てるスタジアムをつくらなければいけないと思っています。

竹内 私も地域の皆様のお役にたつためと思い、ご縁を持ちたいと思っています。

眞壁 ありがとうございます。これからも末永くよろしくお願いします。

(インタビュアー 隈元 大吾)