馬入日記

【馬入日記:11月13日】ベルマーレの象徴・坂本紘司選手が現役引退。

本日、坂本選手の現役引退を発表しました。
2000年、坂本選手が21歳の時にジュビロ磐田から移籍加入して以来、実に13年間在籍。
「ベルマーレの象徴」「バンディエラ」「ミスターベルマーレ」と呼ばれ、サポーターに深く愛され、そしてクラブを、サポーターを愛した選手です。

J1・J2通算で456試合に出場、57得点。いずれもクラブ史上最多であり、すべてベルマーレでの記録となります。

クラブの紆余曲折を経験。チームの成長は坂本選手と共にありました。
言葉では言い尽くせない、有形無形の財産を残してくれました。

「クラブと来年のことを話していく中で、ベルマーレでの役割を終えたかなと思った。まだやりたいとかやれるっていう想いはキリがないんだけど、どこかで線を引かなければいけない。ベルマーレで長くやらせてもらって、眞壁さん(社長)や大倉さん(強化部長)ともずっと長く一緒にやらせてもらってるし、僕のことをずっと見てきてくれた。眞壁さんや大倉さんが最後に自分の終わりを決めてくれたほうが、自分も納得するんじゃないかと思った。他のクラブに行ったとして、1年や2年で終わりを迎えるより、いまこうして長く一緒に戦ってきた、ある意味“戦友”である人たちに自分の最後を決めてもらったほうが自分もすっきりするという気持ちがありました」

最終的に引退を決断したのは、11日の最終戦の終了のホイッスルが鳴った後だったとか。

「試合前に、“いい予感がする”って言ってたんだけど、ああいう展開になるんじゃないかなって自分は思ってた。もしかしたら、昇格が決まって、そして自分が最後、ピッチに立ってるんじゃないかって思った。もしそうなったらすごいな、と。続けようか辞めようか、悩んでいた時でもあったから、もしそれが現実に起きたら、お疲れさんってことなのかなって思った。13年間J1への想いをずっと強くもってやってきて、最後J1に上がりたいっていう気持ちでこの1年間やってきた。昇格が決まれば、この町田戦がベルマーレで最後の試合になる。その最後の試合が昇格を決める試合で、数分だけどピッチに立つことができた。なかなかいい終わり方ができる人っていないと思う。消化試合で、最後に使ってもらうのとはわけが違って、昇格決まるかどうかの試合だった。曺さんも“花道を作ろうと思ったわけじゃなくて、戦力だから、必要だから使った”って言ってくれたし、そういうことも含めて、他のチームのユニフォームを着てプレーしている自分がイメージできなかった。選手はみんな知らなかったんだけど、なんか胴上げしてくれてね(笑)」

試合後、尊敬するキャプテンを胴上げした後輩たちは、何も知りませんでした。
選手たちへの影響を考え、坂本選手は誰にも言わず黙っていたのです。

「年齢的にも本当にあと少しやれるかやれないかの、ギリギリのところだと思う。すぐには決められなくて何週間も考えていたんだけど、昇格の瞬間、決まってからロッカーに戻るまでの間にいろんなことを考えて、ふと、引退しようと思った。もちろん寂しいけど、なかなかそういう終わり方ができる選手もいないと思うし、みんなが本当に笑顔になったゲームが最後にできてよかったなと思う。そういう想いもあって、二度目の号泣をしてしまった(笑)」

2000年に磐田からやってきた時は、中足骨を骨折していて松葉づえをついていました。
ケガが重なり2000年の1年間をほぼリハビリで過ごすという苦しい1年でした。

「最初にきた時はまさか13年も在籍することになるとは思わなかった。そんなこと、まったくイメージできなかった」という坂本選手。

いつからこんなにも、愛される存在になったのでしょうか。

「最初はクラブの歴史も知らなかったし、僕自身がただサッカーだけをやっていたという感じで、まだクラブを愛するというところまでいっていなかったんだと思う。いつくらいだろう…。意識が変わったのは2005年とか2006年くらいかな。2005年に選手がだいぶ入れ替わって、2006年は僕が一番在籍年数が長い選手になった。そこで、チームに残った自分が、残る意味ってなんだろうと考えて、自分がやらなきゃいけないんだと思った。26歳くらいの時ですね。選手会長をやって、中のほうからチームを変えていくんだと。あとは、2006年にレイソルにホームで昇格を決められて、そのことも転機になった。3-0で負けて目の前で昇格を決められた。あれはもう衝撃的だった。あぁ、このためにやってるんだ、と。今のままでは昇格できないと痛感した。翌2007年くらいから徐々に成績もついてくるようになっていったと思う。振り返るといろんな転機があったなと思うし、自分も21歳の時のままだったら当然今はもうここにはいないだろうと思う。日々自分も変わりながらやってこれたし、逆に言えば、人間的に成長させてくれる環境があった。もっとああしなきゃ、こうしなきゃって、ずっと考えていたから自分も成長できたかなと思う。人間の中身の成長と共に、プレーもよくなっていくと思うから、足先の技術だけじゃなくて、プレーヤーの原点というものを感じられた」

弛まない向上心には度々驚かされるほどでした。
自身の成長とチーム全体の成長を常に考え、行動している姿がいつもありました。

「進化したい、成長したいとずっと思ってた。チームとして苦しい時代も長かったし、でもだからこそここまでできたのかもしれない。早くにいい思いができなかったから、敗戦からいろんなものを学んだと思う。調子に乗ったりすることなく、逆に鼻をへし折られた感じで、そこからいろんなことを学んできた。2000年代の前半の若い時に経験した苦しかったことが生きてると思います」

13年間という月日を重ねる中、本当に様々な経験をしました。

「本当にベルマーレではいろんなことやり尽くしたと思う。最近ではスクリーンデビューもしたし(笑)、女装もしたしね。昇格もしたし降格もした。歴代得点記録も塗り替えたし、450試合も出られた。選手会長もやったし、キャプテンもやった。思い返せば、全部やったんじゃないかと思うくらい。この前、富山戦の時にアディショナルタイムで試合に出たんだけど、アディショナルタイムで試合に出ることって初めてだった。“初めてだなぁ”って思って、それでふと、“あ、オレもう本当にすべてやったな”って思って自分の中で面白かった(笑)」

チームメイトには、1週間のオフに入る前の12日に伝えられました。挨拶をする坂本選手は、やっぱり後輩を想ってか、しんみりすることなく、明るく冗談を交えながら伝えていました。

改めて、後輩たちに伝えたいことは何でしょうか。

「そうだなぁ。サッカーの神様はいるよっていうことかな。長くやらせてもらって、いろんな選手とやって、いろんなチーム状況を見てきたけど、今年は最終節に何かあるなって思えるようなチームだったと思う。オレが言わなくても、みんながひたむきに練習してきたから、最後にああいう大逆転があった。ツキもうちに転がってきた。それは自分たちで引き寄せたんだと思う。本当に、目に見えないところは大事だなと思う。スタジアムで何千人の人が見てくれているところじゃなくて、そこに辿り着くまでの、人には見えないところで自分が何をしているか、どういう気持ちで毎日いるのか、ということが大事。今はみんな練習にもすごく早く来てしっかり準備をしたり、終わった後も足りないところを鍛えてる選手ばかり。そういうのは見えないところだけど、そういう姿を同じ選手として見ていて、絶対にいいことあるだろうなって思う。リハビリのヤツらも、いま呻き声上げながら一生懸命やってるけど、でもアイツらにも絶対いいことあるよって声をかけてる。本当にそうだなって思うから」

まさしく、坂本選手のプロ生活がその繰り返しだったのでしょう。自分に厳しく、自問自答を続け、前を向いて歩み続けた16年間。

「ジュビロでは全然試合に出られなかったけど、でもベルマーレに拾ってもらった。やっぱり誰かが見てくれている。長く現役を続けられるというのは、人との出会いや巡り合わせ、運も左右する。すごく才能があるのに若くしてできなくなる選手もいる。でもそういうものは自分で引き寄せられるものなんじゃないかなと思う。ありきたりだけど、コツコツ地道にやること。“継続は力なり”ってずっと何年も言ってるけど、それに尽きるかなと思う。自分の同年代やまだ選手を続けている選手もやっぱりそう。決してひけらかすんじゃなくて、当たり前のように淡々と続けられるというのも才能だと思う。でも、オレが言わなくても、今のチームはみんなちゃんと分かってると思う。びっくりするくらいサッカーと真摯に向き合ってるから」

いつも“一緒に戦っている”という気持ちでサポーターの皆さんのことを本当に大切に思っていました。それは言葉の端々、行動のひとつひとつから、感じられるものでした。

「苦しい時も、どんな時も変わらずに応援し続けてくれた。心から感謝しています」

語り尽くせぬ感謝は、12月2日に直接皆さんへ。
(12月2日にイベントを行います。詳細が決定次第ご案内します)

坂本紘司、現役引退。
ベルマーレにとって、永遠に特別な存在。
心からの感謝の気持ちと、次のステージでの活躍を祈ります。