ボイス

【ボイス:2016年5月11日】下田北斗選手

下田北斗選手VOICE
アタッキングサードでより怖い存在になって、
チームの勝利に貢献したい。

2015シーズンを支えた13人の選手が他チームに活躍の場を移し、
復帰組と3月加入を含めて新たに13人の選手を迎えて始まった今シーズン。
去った選手の力は大きくても、
5シーズン目の指揮を執る曺貴裁監督が4年をかけて培い、積み上げてきたスタイルの
ベースが揺らぐことはない。
むしろ新しい選手を加え、これまでとは違うハーモニーを奏でるチームが
試合を重ねるごとに見せる変化へ、抱く期待は高まる。
そんな期待の高まりに一役買っているのが新しく加入した選手たち。
その一人である下田北斗選手は、左足のキックと秘めた向上心を武器に
新たな成長を志している。

“専修大学で出会った高山選手の存在が
プロへの道の刺激に”

 新しい背番号が発表されると、新加入選手も含めてその顔ぶれを眺めながらシーズンを占うのは、観る者にとっての楽しみのひとつ。特に新戦力として迎えた選手については、等しく期待を抱きながらそのプロフィールを読み込んでいく。そんなオフ明けのルーティンの中で一人、ちょっとした親しみがプラスされた歓迎を受けたのが下田北斗選手。ベルマーレのホームタウンの中でもスタジアムのある平塚市出身選手として、ヴァンフォーレ甲府に在籍していた当時から何かと話題に上っていた選手だ。実際に下田選手自身も子どもの頃からJリーグのチームが地元にある環境を当たり前として過ごし、自分自身がプレーすることを優先するなかでも、高校生になっても月に一度はホームスタジアムであるShonan BMW スタジアム平塚に足を運んで試合を観戦していたという。地元のチームを応援する気持ちが半分、もう半分は、プロのプレーを参考に自身のレベルアップの刺激にする気持ちといったところだったようだが。

「やっぱり小学校の頃から『サッカー選手になりたいな』と思ってました。でも中学生とか高校生のときはどうやってプロになればいいのかわからなかった。全国大会にも出たことないし。だから中学生とか高校生の頃は、『サッカー選手ってどうやってなれるんだろう?』って思っていました」

 ベルマーレは地元のチームとして身近に感じていたが、アカデミーには縁がなかった。

「友達がジュニアとかジュニアユースに通っていたり、小学校の頃は対戦したりしました。自分自身は、身体も小さかったし、気持ちの問題かもしれないけど、そういうところで少し厳しいかなっていう感じもあって、受けなかったですね」

 常にプロになりたいと考えながらも、高校時代も全国大会までは届かないまま。そこで大学はプロを目指すことを前提に、自分のスタイルに合いそうなところを高校のサッカー部のコーチと相談して選び、専修大学のスポーツ推薦のセレクションを受けて入学した。

「僕が1年生のときに薫くん(高山)が4年生の先輩だったんですけど、薫くんとかがプロになっていく姿を1年間、『ああ、こういう人たちがプロになるんだな』っていうふうに見て、あの人たちのようにしっかり練習して意識高くしていれば自分も4年後チャンスが来るのかなって捉えたような感じ。大学に入ってから、身近にプロになる人を見られたっていうのはすごく良かったかなと思います」

 大学でサッカーを続ける学生の大半がプロを目指してのこと。とはいえ、4年間を過ごす中で別の道を見つける場合も含めて、卒業するときにプロへの扉を開く選手はほんの一握りだ。その中のひとりに高山選手がいた。下田選手にとって初めてプロへの道筋が見えた経験だった。しかし、

「意識も当然高かったですけど、何より大学1年生と4年生なんで、技術とかスピードとか、いろいろ全部が違ったかなっていうのはあった」

 卒業後は即戦力を目指す大学サッカーにおいて、そのつもりで3年間を過ごしてきた4年生と全国レベルを初めて経験する新入生ではその時できることに差があって当然だろう。ましてや下田選手にとっては、同級生たちこそが初めて知る全国レベルだった。

「高校も神奈川県内ではまあまあぐらいですけど、全国的には誰も知らないような高校だったんで、大学に入ってまず、全国大会に出たことがある人たちと一緒にサッカーができるっていうのがすごい刺激だった。自分としては、いろいろな面が成長したんじゃないかなと思います。
 でも、こう言ったら偉そうですけど、一人ひとりを比べれば、やっぱりスーパーな選手はすでにプロになっているし、大学に入ってきた同い年と比べてすべて自分が負けているとは思わなかった。差がある人も当然居たと思いますけど、『俺、全然ダメだ』とは感じなかった。普通に頑張れば大丈夫かなっていう感じでした」

 「普通に頑張れば」とさらっと言うが、大学の4年間、何よりもサッカーを優先し、サッカーと向き合う日々を過ごしている。その成果が2年生で出場機会を得ることにつながったのだろう。

「監督の方針が選手に任せるという感じだったんで、選手同士で話し合ったりして、自分たちで考えてプレーできました。
 それに、大学生は空いている時間も多くなるんで、その時間に何をするとかもすごく考えた。グラウンドが朝しか使えないので、ボールを蹴れるのは朝7時から8時45分まで。筋トレとかは他の時間にもできましたけど。だから遊びに行くのか、トレーニングするのか、サッカーの映像を観たりするのか、いろいろできることはあると思うけど、プロになるにはなにをすればいいのか普段からすごく考えられた時間だったと思います」

 下田選手が1年生のときに専修大学は関東大学リーグ2部で優勝し、1部へ昇格。下田選手自身も2年生の頃には出場機会をつかみ、徐々に中心選手へ成長していく。実際、下田選手が在籍した4年間、専修大学は強かった。大学2年の年から3年間は関東大学サッカーリーグ1部で優勝し、4年生のときには下田選手自身がリーグ戦MVPを獲得している。

「自分がどうこうして勝ったとは思ってない。やっぱり周りの選手の巡り合わせとか指導者の方とか。自分が1年生のときに4年生に薫くんがいて、薫くんは1年で卒業してしまいましたけど、やっぱりそういう人たちの姿勢を下級生は見てますし。そういう人たちの行動があってこそ、自分が2年生のときの4年生も、3年生のときの4年生も、そういう年上の人たちが作り上げてきたものを自分たちがうまく受け継いだというか、うまく流れに乗れた結果が良かったのかなという感じです」

 めぐりめぐって今年再びチームメイトとなった高山選手から当時受けた刺激が今につながっていた。

>チームスタイルの中で磨いたメンタリティー 新しい挑戦をベルマーレで