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【ボイス:5月3日】役員人事に関する記者会見

●代表取締役会長 眞壁潔 挨拶

皆様こんにちは。
昨日、弊社の定款変更をいたしまして、私が代表取締役会長、大倉が取締役社長という人事を、その定款変更により発効しました。
私が2004年のこの同じ4月29日に、実は試合前にここで社長就任の会見をしています。当時、山田監督で0勝5分2敗。その試合で社長就任会見をさせていただいて、大宮相手にその年の初めての勝利を取ることができました。
残念ながらその後チームは大変難しい状況になり、新しい体制を作らなければいけないということで、監督に上田さん、そして強化部長であった水谷が自分にも責任があるのでどうしても下りるということでしたので、彼の大学の後輩でもある大倉にオファーを出しました。セレッソに赴きお願いをして了解をいただき、大倉に…早い秋口だったと思いますけれども、うちのクラブに来てもらいました。

当時、大倉とは2つの約束をしています。約束というかお願いですね。ひとつはフジタ撤退により、潰れかけたクラブが、必ずJ1に復帰するというサポーターや地域の皆さんとの約束のもと、多大なる支援、あるいは増資をいただき、2004年にいたっていると。必ず一度は…という言い方は変ですけども、まぁ二度昇格したので余裕があるんですけど(笑)、一度は昇格しなければいけない、と。これは地域との約束だと話しました。
それともうひとつは、ベルマーレ平塚時代から、地元からトップの選手になり公式戦のピッチに立った選手がいないと。今でもそうですけども、このエリアの神奈川県内の優秀な子どもたちはマリノスに行ってしまうことが多い。出来れば、このベルマーレから本当のプロを出したい。それをぜひやってもらいたい、というお願いをしました。

ひとつ目は反町が来てくれた2009年に成し遂げた訳ですけども、ふたつ目はどこが終着駅という訳ではなく進行形ではありますけれども、2012年に同じこの京都戦でですね、曺貴裁が指揮を執った最初の公式戦に、先発の11人の内5人が私どもの育成から育った選手だったということで、これも進行形ではありますが、約束を果たしてくれたのかなと思っています。

そんな事もありまして、10年を一区切りに、私は代表取締役会長として、少し後ろから彼をサポートし、多くの権限は大倉に託してやっていきたいなと思います。
非常に分かりにくいですが、実行委員は私が続けます。本当は大倉に実行委員をやらせたいんですけれども、Jリーグの規約で、代表取締役が実行委員をやらなければいけないということになってますので、しばらくは私が続けます。
その中で去年から、営業会議も私は一切出ていませんし、GMとしてすべて大倉がやっております。一応まだ倒産しそうもないので(笑)、十分に能力があるのかなという風に思っております。

彼は元Jリーガーなわけですけれども、柏レイソル時代に最初の公式記録がベルマーレ平塚相手にハットトリックという、天敵みたいな男です(笑)。今回、この人事で大きいのは、そういったプレーヤーが縁もゆかりもないうちのクラブに来てくれて、しっかり10年間仕事をしてくれ、そして、この結果を出してくれたと。うちは親会社のないクラブですから、そうした人間がクラブのトップになっていくと。
今、先駆者として、元Jリーガーである塚野氏(鳥取)、野々村氏(札幌)が社長をやっていますが、そういうクラブが普通になってもらいたい。いつの日か、うちのクラブで闘ったあるいは育った選手たちが社長になるという時代が、いつかぜひ来て欲しいと思っています。

余談ですが、二つ目の約束をした、育成の約束をした時に大倉が出た条件がですね、曺貴裁というコーチがいるんだけど、曺をどうしても連れて行きたいと言われました。従って今、監督をやっている曺はその年の末にうちに来てくれました。
いずれにしても、新しいベルマーレをこれからますます盛り立てていきたいと思っております。

リンカーンが「The government of the people, by the people, for the people」と言ってますけれども、我々は「The club of the player, by the player, for the player」そういうクラブでありたいと思ってます。

●取締役社長 大倉智 挨拶

こんばんは。この度、社長の命を受けることになりました。
今、眞壁のほうからありましたように、2004年の10月頃だったと思いますけれども、ベルマーレの再建、総合型地域スポーツクラブの推進、フラッグシップのサッカーをしっかりと立て直したい、地域の子どもたちを育てたい、そんな眞壁の熱い言葉を聞き、ここに来て約10年が経ちました。
8年間は強化の責任者として仕事をし、昨年からGMという形になりました。思い起こすと2005~2006年の非常に厳しい2年間がございました。多くの改革を当時の監督の上田栄治さんと共にやりました。ここにボードにあるように、理念とか目指すサッカーとか、そういうのもしっかり確立した上で、獲得する選手、残る選手、契約を更新しない選手、この軸をもとにすべてやってきました。その2年間があったからこそ、今があるのではと思っています。当時、本当に上田栄治さんには大変ご苦労をかけたという風に思っています。

その後、菅野監督と2006年から2008年、一緒に仕事をさせていただいて、あの当時、菅野さんがハードワークであったり、リバウンドメンタリティだったり、一生懸命サッカーに取り組むんだとか、そういったことを、今フロントにおります坂本紘司とか田村雄三とか、彼らを中心に教え込んだという時代でございました。
2007、2008年あたりから20勝ぐらい出来るようになって、少しずつJ1昇格の兆しが見え始め、2008年は5位で終わっているんですけも、監督を反町さんに代えました。もう一歩行くには、という所で反さんに来てもらって昇格をしたということです。

2010年、平均年齢が28、9歳くらいの選手で戦った中で、やはりJ1の壁は厚く、いろいろな事を学び2011年を迎えたんですけど、2011年は振り返るとあまり良い年ではございませんでした。その間、ずっと曺を中心に2005年からアカデミーの改革をやっていました。彼はずっとこの8年間、9年間を傍らで見続けていました。当時の監督の菅野さんとも非常に交流があって、上と下で「菊池大介はどうなんだ」など、まさに大介を高校1年生でデビューさせた当時でしたので、曺さんが「行けるよ、菅野さん」といったような会話をしていたことを、今でも思い出します。

そんなことで、2012年、思い切って若い選手の伸びしろを信じてやっていかなければ、湘南ベルマーレとしては生き残っていけない、J1の予算の平均は30億くらいありますけれども、その3分の1のクラブという中で、どう生き残っていくかと考え、思い切って若い選手を使っていこうということになりました。
そして2012年に勝ち上がり、2013年はJ1で戦った。残り10試合、1点差のゲームが続きあわよくばというところまで来たと。降格しましたけれども、そこを経て今年を迎えていると。
ここ3年間、平均年齢23歳で選手の伸びしろイコール勝ち点3につながるんだというコンセプトで、曺が作った言葉ですけれども、「湘南スタイル」というものが少し浸透し始めてるというような所だと思います。

私は去年からGMという立場で仕事をさせていただいていますが、眞壁からGMになったときの僕の役割というのは、チームだけではなくフロントを含めたクラブ全体も“湘南スタイル”を入れ成長させていけという使命だと思ってやってきました。今回、社長の命を受けたのは、それをさらに進めていくこと、また元プロサッカー選手としてもっと日本のサッカー界に貢献せよというメッセージだと思っています。ベルマーレにしっかり軸足を置きながら、日本のサッカー界のことを考えた行動で、責任を持って職務 を全うしたいと思っている次第です。

●質疑応答
–大倉さんが社長になって、具体的に大きく変わる部分は何かを教え下さい。

(大倉)すぐに変わるかどうか分かりませんが、数字的な所で、去年から進めていることなんですけど、今、クラブの予算がJ2・J1を9.5億と11.5億ぐらいで行ったり来たりしていますので、このベースをあと3億上げるには、入場料収入の数字であったり、広告料収入の数字を上げるために、皆でコミットメントしてやっています。
1年、2年で達成できる話ではないと思いますが、2020年、5年後6年後、中長期の中で14億から15億ぐらいまでには持っていき、その予算と湘南スタイルでJ1に居続けるというのが理想の絵だと思っています。
スタジアム環境の問題もありますが、そういった具体的な数的ビジョンを持って取り組んでいきたいと思います。

–GMの後任は誰になるのか?

A:(眞壁)うちのクラブでいえば、大倉が社長兼GMになります。GMというのは、うちのようなクラブではイコール社長という風に理解をしてますので、新任でGMを置く予定はありません。営業社員も若返っていますので、同じように続けていくと。ただ社会に対して、皆さんに対して、肩書きをちゃんとしかるべきものにして、わかりやすくしていくということです。

–「元プロ選手の社長」という言葉があったが、もう少し当事者の立場で元プロ選手の社長が生まれることの意義とは具体的には?

A:(眞壁)今、私どもの営業本部長はボランチをやっていた坂本紘司で、実質の強化部長となるテクニカルディレクターは田村雄三という元選手がやっています。
いわゆる、プレーヤーが現役を引退した後の選択として、指導者、解説などが多いという現状です。
鳥取の塚野社長は曺と一緒にユースを見ていたことがあるんですけれども、クラブの経営に関しては、彼を見ていると苦労をしながらも元Jリーガーでも十分出来るんですね。苦労してでも、やる気のある人であれば。
マネジメントっていうと、難しそうに聞こえますけども、実はこの仕事は大変難しいと思う反面、売るものとか買うものとかやるものは、そんなに難しくないんです。金融商品を売るわけでもないですし、難しい番組作りをするわけでもない。
従って、志がある人間がそういうチャンスを持てるという風になった方が、僕は日本のサッカー界は良くなると思っています。
実際、冷静に考えてみれば、川淵さんもサッカーの選手だったわけですし、川淵さんがJリーグをしばらく引っ張り、サッカー協会の会長を含めて、サッカーで活躍した方がなられているということですから。
一部の日本の社会に、「ボールを蹴ってたんでしょ」みたいな感覚があるかもしれません。これは20年も経っているのだから、そういう感覚はもう消さなきゃいけない。競争を勝ってきた1500人近いJリーガーというのは、子どもの頃からものすごく毎日きっちりした生活を送って、その競争に勝ってきたんです。
そういった経験をした人が、経営のちょっとしたやり方と方程式さえ覚えれば、もっともっと良いクラブかたくさん増えていくと思っています。
そうつくづく感じた10年だったので、今回こういう形をさせていただきました。

(大倉)僕は、92年に大学を卒業して、日立製作所に入社していまして、日本のプロの創成期でした。僕らの世代から言うとプロになるなんていうのは、全く想像がつかなかった時代で、僕も普通に社員として入りまして、て、柏レイソルのプロ化に伴ってプロに転向しています。
当時は総務部が管理をしていて、プロサッカー選手って何だろうなって思いながら、将来プロ化していくなら、絶対フロントサイドもきちんとプロ化をしていかなければいけないと、あの当時から思っていました。
僕は全く指導者には興味がなく、スポーツマーケティングの世界で、そういう勉強をしたいという風に思っていましたので海外にも勉強に行きました。元プロサッカー選手だから良いという話ではないのですが、現役当時のその思いとか、いろんな経験というのは、例えば選手との接し方も含めて今のチーム作りにも本当に役立っています。
今後、ただサッカーをやっていたからピッチの中だけに収まるのではなくて、営業事業もしっかり出来るような、そういった人材がどんどん出てくるんじゃないかなと思っています。

Q:親会社がない中、こういう独特の人事があったり、また今の結果があるが、親会社のないクラブがたくさんできる中、ベルマーレの役割というのは小さくないと思うがその辺りについては?

A:(大倉)仰るように、J2を中心に、市民クラブという、親会社、責任企業がないクラブが多くなってきています。僕らがいつも言っているのは、少ない予算でどう強いチームを作るんだとうこと。だからこそアカデミーが大事で、となります。
ですから、J1の平均予算が31億であっても、お金がないという言い訳は一回もしたことはありません。やはりサッカーというのは、今レアルが400~500億くらいでしょうか、そういう中でやるのが当たり前の世界です。
そこに立ち向かうサッカーのスタイルであったりとか、お客様が見ていて面白いと思うことを表現するのが興行の使命だと思っています。ですから、ベルマーレの役割としては、そういう少ない予算でもこれだけやれるんだぞっていうところを見せるというのは、大事な使命なのかなと思います。
決してそれが悲観的な話ではなくて、十分やれる。日本のサッカー面白くない、観客が減っていると言われるのは、どこに責任があるんだっていうことを、しっかりとサッカー界全体が考えなければいけないかなと、思っています。

(眞壁)大倉は、本当に「お金がない」という言い訳は一度もしたことがないです。僕はその分あちこちでしてますんで、そこはご勘違いのないように(笑)

Q:このクラブを動かしていくことで日本のサッカー界全体のことも考えるということが出来る可能性は、どんなところにあるのか?

A:(大倉)僕が強化部長になった時、33歳くらいでした。あの当時セレッソでしたから、本当に強化部会とかに行くと一番下っぱで、今はだんだん中堅ぐらいになってきました。
そういう中で、いろいろと話す機会やいろいろな場に出していただく機会が増えてきて、サッカー界では湘南は小さいクラブだけどよくやってるよね、と言っていただくことが増えてきて、「どう思う?」と聞かれる場面も多く出てきました。そういった中で、しっかりと自分の役割を果たしていきたいという風に思います。

(眞壁)大倉を呼んだとき僕は42歳なんですね。社長としてもまったくのペーペーで、徳島の前社長の高本が僕より少し若いくらい。あとは次に年齢が近いのが奥寺さんですから。その中で10年やってきて、今は同級生というか、中堅が増えてきています。その10年をまた一回若返らせたい。
湘南は今選手の平均年齢が23歳で3年やっています。常に経営陣もそうありたいと思っています。
なかなかもう50を過ぎてくるとですね、50以上の方がいたらごめんなさい、記憶力といい、新しい発想といい、マンネリ化してきてですね、気が付くと同じ事を言っちゃってるという。それは、やはり聞く側にとって、入ってるようで入ってない。うちの監督が契約をするときから、いつも言ってるのは、勝敗によってクビになるというのは当然あるんだけれども、自分的には自分の言ってる言葉が選手の耳に入ってないと感じたときは辞めさせてもらいます、という風に言っています。
僕もまったくそれは正しいと。監督だけじゃなくて、やっぱり経営なり営業なりトップに立つ人間というのはやはり同じ事なんだろうなと思っています。
きっと新しい刺激がこの地域にも、うちのスタッフ、コーチにも必要なんだろうという風に思っています。