ちょうどJリ―グが開幕した頃。私は高校でサッカー部のマネージャーをしていた。「卒業したらサッカーの仕事に就きたい」。何をやっても自主性のなかった自分が、唯一、一生懸命になれたのがサッカーだった。どうすればいいのかも分からず、Jリーグのあらゆるクラブに手紙を書く日々。どこからも音沙汰はなかった。

チャンスは突然やってくる。ベルマーレ平塚(当時)の社員の方から連絡が。「ポルトガル語、話せる?」。外国人選手がクラブに入団するにあたり、その家族たちのお世話をする仕事がたまたま空いたのだという。すかさず「絶対に話せるようになります!」と答えて、電話の向こうで笑われた。

96年、ベルマーレ平塚に入社。来日した外国人選手のケアを5年間。言葉も通じないし、チームにも迷惑をかけるし…。本当につらくて、毎日泣いていた。
当時、チームは黄金期。一方で、漠然とした疑問を感じていた。「地域のため」と標榜しているものの、地元のために何ができているのか…そのために社内のキモチは1つになっているのか…。そんな矢先に、当時の親会社であったフジタが、突然の撤退を表明した。ある人が言った。「このピンチを自分たちが変わるチャンスにしよう」。

私たちは「湘南ベルマーレ」に生まれ変わった。それまでは、確かに資金力はあった。けれど、腰の重い組織だったように思う。それが一転、「何かやりたい」という意見が出て、それが地元のためになるのならば、積極的に実現していく風土が生まれた。自分たちの目指すべき方向性が見えてきた実感があった。それから、私は広報担当を経て営業担当に。会社とチームの取り組みを世の中へ伝える大切な仕事。年々、責任は重くなっている。

私の高校の卒業アルバムには、「サッカーの仕事に就けるといいね!」というメッセージがたくさん書かれている。すべて同級生たちが書いてくれたものだ(そんなにあちこちに話していたのか…)。

入社して、泣いてばかりいたあの頃の自分に言ってあげたい。私は夢を叶えて、20年経った今でも毎日ココロを動かしているよ。クラブはこんなに地域に根付いて、スタッフと選手の想いが1つになっているよ、って。

向上心

「勝利」に絶対は、ない。100%がないからこそ、観ている人に約束できることは、いつも全力であること。それは、どんなカテゴリーにいても、どんな環境でもできること。負けたときですら観る者の心を動かすことができるかどうか。

郷土愛

1996年にJリーグが提唱した「百年構想」の中にはこんな理念があります。2001年に総合型地域スポーツクラブを設立して、地域のみなさんにとって、老若男女の喜怒哀楽が集まる「場」をつくること。クラブ名を「湘南」というエリア名にしたのも、Jリーグでは初めての試みでした。ホームタウンは今では9市11町になりました。

育成力

クラブ存続の危機だった時、それまで育ててきたアカデミーの選手たちの行き場がなくなってしまうことが嫌だった。まずは子どもたちの未来や夢のために。そして、地域に根ざしたクラブとして、「できなかったことができるようになりたい」という挑戦するすべての人の気持ちに応えられる存在でありたい。

「平塚」といえば、「七夕まつり」も有名ですが、やはり「ベルマーレ」の存在は欠かせないでしょう。全国の地域のみなさんとお会いする機会があると、「平塚信用金庫」という文字を見た瞬間、「あ、ベルマーレですか!」と言ってくださる方もいますし、私自身も「湘南ベルマーレのホームタウンです」と紹介しているくらいですから。

信用金庫という仕事は、「地域密着」を大切にしていますので、地元の人や企業を支えることが使命です。サッカーではファンのことをサポーターと呼びますが、まさに私たちは地域のサポーターと言えます。そんな「街のベストパートナー」を目指している私たちにとっては、街のシンボルであるベルマーレを応援しないわけにはいかないでしょう。

JFL時代から支援させていただいているので、いちばん古いパートナーのひとつなのかもしれません。「COPA BELLMARE」という小学生向けの国際大会も、次世代の子どもたちを応援していきたいという想いで「ホームタウンカップ」という名称だった第1回開催からサポートさせていただいています。それは、「人を育てる」ということを大事にしているベルマーレと同じ想いで、あの大会でプレーしている子どもたちの中から、トップチームに進んで、そのまま日本代表になってくれる選手が現れてほしいですし、結果的に平塚という街の魅力も上がってくれたらうれしいですね。

ベルマーレの試合を観ていて思うのは‥‥、ほんとうによく走っていますよね(笑)。それは、素人目に見ても、すぐにわかります。結果的に無駄なダッシュになってしまうときもあるのかもしれないですが、やっぱり何回に一回かはそれがチャンスになっていますよね。その「走り続けるんだ」というきもちが、強いチームと渡り合える秘訣なんだと思います。

「平塚信用金庫スペシャルデー」では、来場したみなさんに楽しんでいただくために、職員がベルマーレと一緒にイベントを企画したり、スタジアムのイベントに参加したり、たのしんでいます。ベルマーレのスタジアムに行くと、平塚という街の温かさを感じますね。それは、普段私たちが仕事で接している地元のみなさんの雰囲気と同じです。それはそうと、うちのスペシャルデーの試合は、いつもベルマーレが勝つんですよ(笑)。

湘南ベルマーレというクラブは、苦労の時代がたくさんあったからこその今、だと思っています。つらい時期を乗り越えて、市民クラブとして再生したことがよかったのでしょうね。総合型地域スポーツクラブとして、ずっとここ平塚にありつづけて、街のシンボルとしてずっと大きな存在でいてほしいです。ベルマーレは、みんなの希望であり、夢ですから。「郷土愛」という共通点をもつ仲間として、地域を一緒に盛り上げていけたらと思います。

SOCCER

2000年に「ベルマーレ平塚」から「湘南ベルマーレ」に改称し、ホームタウンを7市3町へ拡大し、その後、2017年には9市11町に。攻撃的で走る意欲に満ちあふれた、アグレッシブで痛快なサッカーを通じて、湘南地域に住む人々に、夢と勇気と希望の感動空間を提供すべく日々鍛錬に励む。

BEACHVOLLEYBALL

2001年、サッカー以外の競技として初めてビーチバレーチームが誕生。国内のトップ選手が集う「湘南ベルマーレひらつかビーチパーク」を拠点に活動している。2008年北京五輪には所属選手の白鳥勝浩(当時/現・トヨタ自動車所属)と楠原千秋が出場。白鳥はロンドン五輪にも出場するなど日本のビーチバレー界を長年引っ張っている。Jrユース・ユースチームも誕生し東京五輪でのメダル獲得を目指し、若年層の育成にも力を注いでいる。

TRIATHLON

2002年、湘南の地の利を活かすスポーツとしてトライアスロンチームが発足。現在、所属する選手たちは世界の舞台で奮闘している。同時に一般向けのプログラムにも力を注ぎ、幅広い層へ数多くのクリニックや大会を実施。年間参加延べ人数は10,000人を超えている。選手育成と競技普及の両面において、一層の拡大を目指す。

CYCLE ROAD

2010年に湘南ベルマーレサイクルロードチームが発足。主に日本のトップカテゴリーであるJapan Pro Tour(ジャパンプロツアー)のレースを中心に参戦し、日本から世界へ選手を輩出するべく活動している。トップ選手の育成とともに、地元湘南でのサイクルイベントの開催や協力を行い、サイクリングの普及、自転車の安全運転の啓蒙活動にも力を入れている。

FUTSAL

2007年よりスタートしたFリーグ(フットサル国内トップリーグ)に初年度より参戦。小田原市を本拠地とし、小田原アリーナで熱戦を繰り広げている。強く感動を届けられるチームづくりはもちろん、スポーツ振興に力を入れ、地域で親しまれるクラブを目指す。2009年には小田原観光大使に任命いただき、小田原市の文化芸能をPRする使命も担う。

RUGBY SEVENS

2014年、7人制ラグビーの男女のセブンズチーム・湘南ベルマーレラグビーセブンズ、通称「Bell7」が発足。7人制ラグビーは2016年のリオデジャネイロ五輪より正式種目となった国際的な競技。五輪出場を目指し、日々切磋琢磨している。

2014年2月16日、ホーム最終戦は今でも忘れられません。大雪の降った翌日でした。「肺がんのため治療します」というプレスリリースを出したのが2013年7月10日。当時、まさに生きるか死ぬかを迫られていたときで、ベッドに寝たきりの状態。たくさんの人から「負けるな」と言われて、その思いだけでやってきて、ついにピッチに立ちました。

その2週間前に治療が落ち着いたばかりだったこともあって、十分なトレーニングはできず、自分自身は満足のいくプレーはできませんでした。けれど、ピッチに立った瞬間、会場中の人たちが迎え入れてくれました。それこそ、ベルマーレやサッカーのファンだけじゃなく、「フットサルを初めて観に来ました」というがん患者の方も応援しに来てくださっていて。そのとき、自分がプレーしつづけるよろこびは、自分だけのよろこびじゃないんだ、と思いました。たとえ病気だろうとも、「きもちがあればできるんだ」っていうことを証明する。それこそが、自分がベルマーレというクラブに存在する使命だと思った日でした。

もちろん、選手としてクラブに所属しているので、いいパフォーマンスをしてチームに貢献することが第一です。自分がピッチに立ってボールを蹴る姿を見るだけで「ありがとう」という声をいただくこともあるけれど、やっぱり選手としてはそれだけで満足したくない。チームから必要とされてピッチに立つ。それは、選手としての責任だと思います。

よく言われるんです、「久光さんは強いですね」って。けれど、みんなが強くさせてくれているんです。同じようにがんと闘う全国の人たちが「応援してます」と試合に来てくれたり、スポーツ観戦やベルマーレのことが好きになりましたと声をかけてもらったり、「がんばれ!」ってたくさん言われるから、強く見せたい、強くあろう、っていう気持ちにさせてくれています。正直に言えば、何度もつらくてやめたいと思ったことはあります。でも、口にはしません。Fリーグに所属している自分の権利を全うしないといけないですし、ベルマーレの一員としてこのジャージを着てプレーする責任がありますからね。

ベルマーレでのこの11年間、いつ「おつかれさま」と肩を叩かれてもいいっていう気持ちで毎日やってきています。それは、病気をするまえから、ずっと変わりません。今日の練習が最後の練習だったとしても後悔しないです。ベルマーレの選手として、最後のワンプレーしか試合に出られないとしても、それまでの準備に全力を尽くして、やれることをやるだけです。

あらためて思うのは、自分は「ベルマーレ」だったから、これほどたくさんの人に応援されているのだと思います。ぼく自身も、ベルマーレだから前を向けた。ベルマーレが長年築き上げてきたものがあって、そのおかげで今の自分の環境がある。じゃあ、自分がこのクラブのためにできることって?選手として、1日1日手を抜かない、やりきらなきゃいけない。

馬入のグラウンドが浸水したとき、多くの地元の人たちが、みんな学校や会社を休んででもベルマーレのために泥かきをしに来てくれたっていうのも、ベルマーレらしいエピソードですよね。カッコいいクラブじゃないかもしれないけれど、愛されるクラブなんです。

このクラブでプレーできて、病気と闘っているのは、偶然じゃないと思ってます。たくさんの人と出会えて、いろんな経験ができて、そのおかげで今の自分がある。生きている時間、出会える人は限りがあります。それは、誰でも同じこと。今この瞬間を大事に、そして、たのしまないともったいないですよね。

ベルマーレは‥‥一言でいえば「アツい」(笑)。選手や監督、スタッフの方々ひとりひとりから伝わってくるものがある。「やればできるんだ」っていう想いがほとばしっていますよね。

スタジアムに観戦に来てくれる人たちは、ゴールシーンや得点の結果だけを見て満足するわけではありません。最後の最後まで諦めないでボールを追いかけていく。そんな姿がベルマーレらしさだと思いますし、クラブのみんなからは、そんな理念を伝えていきたいという想いを感じています。

勝つことはプロチームとしてもちろん大事ですが、勝った/負けたという「点」だけではなく、仲間たちと同じ想いで夢を見て頑張ることや、楽しむという「線」を大切にしているクラブこそがベルマーレなのだと思います。

RIZAPグループは今回、そんなベルマーレをサポートする機会をいただきました。私たちが取り組みたいことは、プロフェッショナルな選手たちが真の力を発揮できる「環境」の提供です。

私たちは現在、ユニフォームの胸に、スポンサー企業のロゴを入れていません。それは、私たちが目立つことが目的ではなくて、同じゴールを目指すベルマーレの伴走者として、頑張った選手たちへの報酬や研究機関、トレーニング施設の充実など、経営マネジメントの側面でのサポートをする役割としてベルマーレに関わりたいと思ったからです。

サポーターのみなさんも、あくまで湘南ベルマーレのファンですので、個性的なキャラクターの印象が強いライザップが前面に出てくることは望んでいないと思います(笑)。

まだサポートをはじめたばかりですので、きちんとRIZAPとして「結果」が出てはじめて、サポーターのみなさんからも評価していただけるものだと思っています。自分たちよりすごいプロフェッショナルたちに、どれだけ活躍してもらうか、それだけを考えています。そのためには、まずは「知る」ことが大事です。クラブやサポーターのみなさんが何を求めているのかをしっかりと聞いて知ること。こちらが学ばせてもらう、という意識を常に忘れないようにしていきます。

「夢」や「想い」は、はじめは何もないところからはじまります。ゴールがあるからたどり着くことができるし、「想い」があるからこそ、逆境があっても頑張れるのだと思います。すべては「想い」からスタートするのです。

そういうアツい想いを、いつも胸に宿らせているのが湘南ベルマーレであり、私たちも全力でその夢を追いかけたいと思います。