History50年の歩み

ベルマーレの道程は深い歴史を誇る
藤和不動産サッカー部として発足
フジタ工業サッカー部を経て'93年からベルマーレ平塚となった
名門としての栄光を刻む一方
消滅危機などの挫折も味わった
Jリーグ「百年構想」の下統合型スポーツクラブを目指して
”過去”は未来の礎となっている

J2リーグ8位(全11チーム)
加藤久監督就任

チーム名を湘南ベルマーレに改称 ホームタウンを平塚市から7市3町(厚木・伊勢原・小田原・茅ヶ崎・秦野・平塚・藤沢・大磯・寒川・二宮)に拡大
2000
J2リーグ8位(全12チーム)
田中孝司監督就任(〜02年)

6月、湘南ベルマーレビーチバレーボールチームが発足 ベルマーレのコーチがホームタウン内の小学校の正規の授業で指導を行う「小学校体育巡回授業」がスタート
2001
J2リーグ5位(全12チーム)
12月、山田松一に監督交代

1月、湘南ベルマーレトライアスロンチームが発足 4月、Jリーグクラブ初のNPO法人湘南ベルマーレスポーツクラブが誕生 5月、W杯開催でナイジェリア代表チームが平塚でキャンプを行う
2002
高田保則
J2リーグ10位(全12チーム)
サミア監督就任
5月、山田松一に監督交代(〜04年7月)
2003
J2リーグ10位(全12チーム)
7月、望月達也に監督交代(代行)
9月、上田栄治に監督交代

1月、産業能率大学と提携 4月、代表取締役に眞壁潔が就任。サポーターとの対話の場「クラブカンファレンス」がスタート 6月、スペイン、リーガ・エスパニョーラのC.Aオサスナと提携
2004
J2リーグ7位(全12チーム)

3月、国際支援のNGO団体「ビースウィンズ・ジャパン」と提携。12月には選手らが津波被害に遭ったインドネシアのアチェを訪問
2005
J2リーグ11位(全12チーム)
6月、菅野将晃に監督交代

7月、パラグアイに日系ベルマーレが誕生 10月、フジタ時代から30年余りを過ごした大神からクラブの拠点を馬入に移転 10月、現役引退を発表したクラブOBの中田英寿氏がジュニアユースのユニフォームをデザイン 12月、平塚競技場がJリーグアウォーズにてベストピッチ賞を受賞
2006
J2リーグ6位(全13チーム)

7月、「湘南ベルマーレフットサルクラブ」が発足。小田原を拠点に9月よりFリーグ参戦 7月、オフィシャルフリーペーパー「MARE」創刊 ユース、Jr.ユース、ジュニアと全カテゴリーで全国大会出場
2007
J2リーグ5位(全15チーム)

藤和不動産サッカー部創部から数え、クラブ創設40周年 7月、菊池大介がJ2最年少ゴールを記録(17歳3ヶ月15日) 7月、坂本紘司がJ通算300試合出場を達成。1つのクラブで300試合出場達成はJ2初 8月、ビーチバレーチームの白鳥勝浩、楠原千秋が悲願の北京五輪出場
2008
J2リーグ3位(全18チーム)
J1昇格(12月5日、vs水戸@ケーズデンキスタジアム)
監督に反町康治

4位甲府と勝点1差で11年ぶりとなるJ1昇格を果たす 試合終了間際に決まったゴールが実に10試合も。粘り強さがチームカラーに
2009
2009年J1昇格