ONLY ONE STORY

16 DF YAMAMOTO SHUTO

MY STORY

-サッカーができるということ

ターニングポイントはいくつかあるのですが、ひとつは、プロに入る直前に病気になってしまい、プロになれるかどうかが分からなくなってしまったということがありました。
仮契約のメディカルチェックで血栓症が見つかって契約が保留になり、半年間くらい契約ができなかったんです。
聞いたこともない病名だったので、病気が治るものなのかと不安もありましたが、いろいろな方の紹介もあって良いドクターに巡り会えて、治療していきました。

半年後にようやくプロとなって、やっと試合にコンスタントに絡めるようになってきた1年半後に再発してしまったんです。朝起きたら嫌な感じがして、病院に行ったら再発していて。
もう選手を辞めるべきなのか、といった選択肢も入ってきたんですけど、自分としては諦めきれずセカンドオピニオンを探して北海道と東京の病院に行きました。詳しい先生と出会うことができて診てもらうと「固まっていてもう動くことはないから、薬も点滴もやめて明日からサッカーやっていいよ」と言われて。本当にサッカーを辞めなければいけないというところまで考えていたので本当にびっくりしました。その先生に出会えたことで、今こうしてサッカーを続けることができています。

それが僕のスタートだったので、まずサッカーができるということに対しての有難みをより深く感じるようになりました。

ジュビロでは6年間プレーしましたが、出たり出なかったりという状態が続いて、自分の中で、もっとやらなければいけないという気持ちを抱いていました。
そういう中でアントラーズからオファーをいただいて、新しい挑戦をしたいという気持ちと、厳しいということは分かっていましたけど、伝統あるクラブで自分の力を出してみたいという気持ちで移籍することを決めました。

鹿島への移籍も大きなターニングポイントでした。本当に大きな経験をたくさんさせてもらったと思っています。
コンスタントに試合に出続けたこと、そして多くの優勝を経験しているチームにおいて、練習での空気感だったり試合の時の空気感はやはり独特なものがあったと思います。
「勝つために」というところを満男さん(小笠原満男)筆頭に、そがさん(曽ヶ端準)といった選手、そしてジーコがいて、スタッフも含めこのチームは優勝しなくてはいけないんだという空気が作り上げられていました。2位とか3位じゃないんだということが常日頃から当たり前のようにあり、練習で求められるものも高かった。そういうものは自然と自分の中で感じて身についていったのかなと思います。

思い出深いことはたくさんありますが、2016年にチャンピオンシップ、クラブワールドカップ、天皇杯と3つの大会が重なり40日で9~10試合くらいを戦いましたが、その時はめちゃくちゃきつかったですけど、ものすごく充実した1ヶ月ちょっとでした。あの時のことは忘れられないですね。
あとはACLで優勝できたという経験も自分の中で大きかったと思います。

MY ASPIRATION 2021

-勝利のために

ここ2年くらい、ケガをしたり、ケガが治ってもなかなか試合に出られない時期が続きました。自分の中でもっと試合に出たいという気持ちがありましたし、出たらやれるという自信も、そこはみんな持っているとは思いますけど、そういった想いや葛藤がありました。

鹿島に行った時もそうですけど、人生は一度しかないし、プロになる時にサッカーができる有難みというのは強く感じているので、また新しいチャレンジをしたいという気持ちが強くなりました。

あまり口でいろいろなことを言うタイプではないですが、でもこれまでいろいろな経験をしてきたからこそ、湘南で伝えられることもあると思っています。
練習や試合を通して、少しでもチームや選手たちのためになることを伝えて、それが一勝に繋がればと思っています。

まずは目の前の1試合、目の前の一勝というものを大切にしたい。
勝つためにやらなければいけないことを、練習や試合に入った時にとことんこだわってやりたいと思っています。

そこをプレーで見せられれば、感じてくれるものもあると思います。そしてそれは試合に出て見せなければ周りへの影響はないと思っているので、しっかりと試合の中で見せることで、少しでもチームのためになればと思っています。