ボイス

【ボイス:2018年5月31日】大野 和成選手

実力不足を感じた昨シーズン
個の成長を促してチームの力に
 ベルマーレへの復帰は、5シーズンぶり。以前は期限付き移籍での加入だった。大野選手自身が20代前半、サッカー選手としての自分を確立すべく、がむしゃらに過ごしていた時期だった。

「期限付き移籍というと帰ってくるのはここ、みたいな行き方をする選手もいるけど、それがすごく嫌で。『一回り大きくなって帰ってこられるよう頑張ります』みたいなコメント残して、ちょっと行ってきますみたいな感じの選手もいますけど、僕は『移籍先で結果を残さないと帰ってこられない』、そのくらいの気持ちで行ってました。
 最初に行ったのが愛媛(FC)で、そのときも『もう帰ってこられないくらいの決意で行こう』と思って行きました。そのチームにはそのチームで試合に出たいと頑張っている選手がいるわけだから。『このチームでダメだったらサッカー選手として終わりだ』くらいの気持ちで行かないと失礼になるし。それに、レンタルだって、行けばそのチームに愛着もわくし、できた分は自信にもなるし。もちろん、新潟っていうクラブは大好きだけど、その当時から気持ちとしては、そういう覚悟で行っていました」

 愛媛には半年いたが、期限付き移籍を延長する選択肢も用意されたほどの結果を残すことができた。

「そういう強い気持ちで行ったのがよかったのかなと、個人的にはすごい思います。半年でしたけど、愛媛ではすぐに試合に出られたし、もう1シーズンやるかという話もいただいた。そこでほかのチームを選ぶこともできたなかで、ゼロからチャレンジできるチームとしてベルマーレに来ました」

 最初にベルマーレで過ごしたのは2012年と2013年の2シーズン。大野選手は、曺監督の初陣でもあった2012年J2リーグの開幕、ホームで迎えた京都サンガF.C.戦にスターティングイレブンとして名を連ねた。この試合でベルマーレは、素早いプレスと、常に前向きに縦への展開を狙うスタイルを初お披露目。前半に失点を喫したが、間髪を入れずに追いつき、後半を含めて何度もチャンスを作り出し、観る者に曺監督が志向するサッカーの可能性を感じさせた。
 とはいえ、引き分けで終われば、その期待も半分にしぼみそうなところ。後半アディショナルタイムの大野選手の積極的な姿勢がそんな心配を弾き飛ばす決勝点を呼び寄せた。自陣深くで相手攻撃を食い止めるインターセプトをすると、そこからドリブルで前線まで持ち上がり、菊池大介選手(現浦和レッズ)の決勝点をアシスト。ベルマーレに新しい風が吹き始めたことを印象付ける勝利をもたらし、結果として、この年のJ1昇格に大きく貢献した。
 翌2013シーズンは、曺監督が初めてJ1の舞台で指揮を執るチームに残る選択をする。ケガなく1シーズンを通して戦い、リーグ戦34試合中32試合に出場してチームの中核として活躍した。

「J1に昇格して、自分自身がすごく成長できたっていうのを感じていた。このサッカーをJ1でやったらどうなるのかなという思いがあったし、自分自身J1でそこまで試合に出た経験がなかったんで、このチームで、このサッカーでやりたい思いが強かった。
 新潟に戻るのが決まったのはシーズン終盤だったんですけど、J1に残したい思いで戦ってました。なので、シーズンが終わって新潟に帰るときにはモヤモヤした罪悪感のような気持ちはありました」

 チームとしての結果とは別に、選手たちは翌シーズンに向けて自分自身も道を選ばなければならない。大野選手もまた、複雑な思いを抱えながらも決断を下した。
 それでも次の挑戦先は、自分が育ったクラブである。決まれば、そこに喜びもあった。

「成長した姿を見せたいという思いはもちろんありました。やっぱり自分が育った地元のクラブですし、そこで頑張りたいなと思いましたし。結果的に何人かの監督と出会って、いろんなサッカーに触れて、こういう考え方もあるんだというのを感じることができた。そのおかげでいろんな考えができるようになったので、帰ってよかったと思います」

 決意も新たに新潟へ帰ったが、そこで過ごした4シーズンは、順風満帆とはいかなかった。何より、コンスタントに試合出場の機会をつかむことができなかったことに悔しさが募る。

「ケガもありましたし、シーズンを通して出続けるっていうのはなかった。やっぱり甘くないですよ、他のライバル選手がいるわけで、そこに勝てなかった。帰ったシーズンから試合に出られるのがベストだと思っていたけど、でも最初からバンバン試合に出られるとも思ってはいなかったです」

 2018シーズンに向けて、再び、ベルマーレへの移籍を決意する。

「去年はキャプテンもやっていたのにケガもしてしまって不本意なシーズンだった。チームはJ2に降格になってしまったし。もちろん残るのが一番いいと思っていたし、残るつもりで考えていましたけど」

 昨年は、開幕後の早い時期に監督の交代などもあり、チームが揺らぐ出来事が多かったなか、自分自身もケガでピッチに立つことができなくなった。そうなるとチーム自体を引っ張ることも難しくなり、消化不良の思いが残る。

「去年は、本当にチームのことばっかり考えていました。みんなの意見をまとめたり、監督と話をしたり。結局、チームを降格させてしまって、ダメなキャプテンだったし、自分の実力不足を感じました。自分個人の成長っていうことにはあんまり目を向けることができなかったし。だからこそ、自分個人のレベルを上げたいなと思った。
 どうするべきか考えていたときに湘南からお話をいただいて。曺さんと紘司さん(坂本取締役スポーツダイレクター)と話をして、自分の成長に関しては湘南に行くのがベストな選択だなと思った。湘南でもう1回一からチャレンジしようという思いが強くなったんで、応援してくれた人には心苦しい思いはあるけど、何を言われてもしょうがないと、そこは腹をくくって。この決断を選びました」

 選手として、キャプテンとして、チームを引っ張る実力があれば、違う結果だったのではないか? だからこそ成長したいという思いが選択の条件となった。

「曺さんに自分のいいところと悪いところをバンバン言ってもらって。選手としての次のステージに行かないといけないぞ、もっと成長できるぞって言われて。そういう話をすんなり受け入れられた自分がいた。紘司さんとの話もそうだけど、しっくりきて。
 いろいろ堪えることも多かったですけど、結局選ぶのは自分ですし、そこでやるかやらないかも自分次第なので、決めた以上はやっぱりやらないといけない。新潟は生まれ育ったクラブだし、街も好きだし、難しい選択で悩みましたけど。このチームで結果を出さないと自分には先がない。もっともっと成長しないといけない。結構な覚悟できたので、頑張りますよ」

 個の成長こそチームを強くする。それが昨年苦しみ抜いた末に得た答え。その答えを自分自身の成長で確認するための移籍でもある。場所を変えても、巡り巡る思いはある。

>自分自身に矢印が向く日々 さらなる成長を期する