風の先の終わり 海の波の続き

2004.06.22

【風の先の終わり 海の波の続き:6月22日】「クラブ10年史」のおまけ(3)

<おまけ>の<パート3>です。すっかり長くなってしまって申し訳ありません。でも今回で終わります。
 というわけで早速、呂比須ワグナーから。
 ベルマーレには97年から在籍しました。彼が平塚にやって来たその日に、僕は彼と会いました。平塚駅からスタッフの車で大神のクラブハウスに向かう途中で129号線沿いの喫茶店に一緒に寄ったのです。
 その時のことはいまもよく覚えています。喫茶店の入り口で彼は扉を開けて僕を待っていてくれた。先に店に入ろうとせず、わざわざ扉を開いて「どうぞ」と招き入れてくれたのです。しかも、席に就くなり、「ロペスです。よろしくお願いします」ときちんとお辞儀をして右手を差し出してきました。初対面だった僕は、ちょっとびっくりしました。そこまで礼儀正しいサッカー選手にそれまで会ったことがなかったのです。こうした態度はその後、日本人になり、日本代表になってからもずっと変わることはありませんでした。もちろん、いまもです(そういえば先日、日本代表のインド戦で会った時も僕の顔を見るなり「どうしたんですか?」と本当に心配そうに声をかけてくれました。そして「お大事に」とも)。
 とにかく礼儀正しいばかりか、義理人情に厚い男なのです。そういえば、帰化が認められる直前に、平塚市内の割烹料理屋さんの和室を借りて撮影をさせてもらったこともありました。まだ正式に帰化が認可されたわけではなかったのですが、「決まったらすぐに雑誌に載せたいから」という僕の頼みをきいてくれて、和食を食べるシーンなどを撮影させてくれたのです。移動の際に同乗させてもらった彼の車の中では長渕剛が流れていました。「辛いときには長渕剛を聞きます」とハンドルを握りながらしんみり教えてくれる彼の横で、僕は「おススメのサンバのCDがあったら教えて」なんて能天気なことを話していたことを思い出します。
 しかも「日本人はやっぱり箸と筆でしょう!」という僕の単純な発想で、食事を食べた後、書道セットを持ち出して、毛筆で「呂比須ワグナー」と書いてもらったりもした。さすがに筆の方はまったくダメで、まるで子供の落書きみたいになってしまったけど、箸の使い方はとても上手でした(撮影から数週間後に帰化申請が認可され、箸を上手に使ってごはんを食べる写真と、お世辞にも上手とはいえない筆で日本人名を書いているシーンは無事、週刊誌のグラビアに掲載になりました)。
『10年史』の取材の際には、奥さんと2人の子供も同席していたので、父親・呂比須を見ることもできました。やさしいけど厳しい。そんな(やっぱり)かつての日本人的な父親に見えた。1時間半くらいインタビューをしていたと思うのですが、その間、子供たち2人は邪魔するどころか、隣に座ってじっとおとなしくしているのです。躾がしっかりと行き届いていることは一目瞭然でした。奥さんも出しゃばることなく、夫の横で時々微笑みながら佇んでいる。最近の日本にはなかなかいない夫婦……かもしれないですね。ぶっちゃけ、独身の僕はちょっと羨ましかったです。

 続いて小島伸幸。ご存知の通り、ノブさんはいまも現役です。ザスパ草津でプレーしています。一見豪放らいらくに見えますが、実はとても気を遣う繊細な人だと僕は前から思っています。
 今回の取材でもこちらが求めていることを察して、活字になりやすい言葉をちゃんと口にしてくれました。例えば「もう一度Jリーグでプレーしたい。そして平塚競技場でベルマーレと対戦したい」とか。このあたりの察しのよさはセンスと言ってもいい。だからテレビでコメンテーターをやっても、若いチームに入っても、彼はとてもバリューが高いし、周りに安心感も与えます。
 そういえば紙面では割愛しましたが、こんなことも言ってましたよ。
「レッズサポーターのブーイングが懐かしいんだよね。また駒場で浴びせてもらいたいね」
 残念ながらJFLのスタジアムにはJリーグほどの熱気は望むべくもありません。だからこその「もう一度Jリーグに」「あの緊張感の中に」という欲求。
 言うまでもなく、ワールドカップにまでいった選手なのです。その前にあの最終予選も経験しているのです。普通に考えたら、それほどのステージに立っていた人が、3部リーグ(それも今季からのことです)でプレーを続けるのは難しいと思います。モチベーションを維持するのは至難の業のはず。しかも年齢とともに体力も気力も確実に落ちていくわけで。
 だけど、彼はいまもゴールマウスに立ち続けている。きっとサッカーが好きなんだと思います。ちょっと照れ屋だから、そんなことオクビにも出さず、いつもオチャラケているけど、やっぱりサッカーが大好きなんだと思う。
 いつかJリーグの舞台に戻ってきたら、「で、結局何歳になったんだっけ?」なんて突っ込みを入れながら、でも心の中で拍手喝采を送りたいと思っています。

 続いて重松良典さん。重松さんは97年から「ベルマーレ平塚」が消滅するまで社長を務めた方です。『10年史』にも書いた通り、一般的には「広島東洋カープ」の社長として有名。30代後半の人は覚えていると思うけど、あの「赤ヘル旋風」の陰の仕掛人とも言われています。
 ベルマーレ絡みのことは『10年史』に書いた通りですが、日本サッカーとの縁もとても深い方です。近いところから遡っていけば、「2002年ワールドカップ」や「腐ったミカン事件」、「Jリーグ設立」、さらには「サッカー協会の政変(1976年)」、「日本リーグ設立」などにも関わった方。そういえば(僕も今回の取材で初めて知ったのですが)「藤和不動産サッカー部」の発足にも絡んでいたとのこと。
 サッカーに限らず、日本スポーツの裏舞台を知り尽くした人と言っていいと思います。いつか重松さんが知っている何もかもを聞き出すことができたら、相当面白い本が書けると僕は思っているのですが、残念ながら今回の取材中にも「それは言えん。それは墓場まで持っていく話やから」と何度か言葉を飲み込まれるシーンもあり、実現は難しそう。「昭和一ケタ世代」は一筋縄ではいかないのです。一方で、こういう気骨のある男にいつか僕もなりたいなと思ったりもしますけど。
 ちなみに重松さんは現在故郷の広島に帰られていて、74歳になられたいまもお元気で、そればかりか頭脳明晰、気力も十分に見えました。

 続いて上田栄治……監督。上田さんというよりは、上田監督という方がやっぱりしっくり来ますね。もちろん現日本女子代表監督です。『10年史』の取材でお会いしたのは1月中旬。まだ五輪最終予選の組み合わせが決まる前でした。
 でも、すでに「相手は北朝鮮」とターゲットを絞っていた。3月末の北朝鮮との一戦だけを見据えて監督も選手たちも集中していることが、この時すでに感じられました。そして、あの試合。「彼女たちの姿を見ながら感動してしまうこともあります」という言葉の意味が、予選を見ていてリアルによくわかった(先日、女子サッカーの取材でお会いする機会があったので、「本当にお疲れさまでした。素晴らしかったです」と伝えました)。
 上田さんはフジタからベルマーレへと時代に押されるように進んだ人です。フジタでも、ベルマーレでも前面に出ることは少なかったけど、常にクラブの重要なポジションで重要な仕事をしてきた人でした。その上田さんが突然最前線に押し出されたのが、あの「99年」だったことを「不遇だったかも」と僕はこれまで思っていました。
 でも、上田さんの話を聞き、その声の響きに耳を傾け、それからベルマーレ後の彼の歩み――マカオ代表監督、女子代表監督を辿っていくと、不遇だとか幸運だとかということはその場で判断することではなくて、ずっと先になって「そういえばあれは……」と決めればいいことなのだと気づかされました。そして、「ずっと先」までの間に何をするかによって、その評価も変わってくるのだということも。
 少なくとも上田さんは「99年」を不遇だなんてちっとも思ってないし、結果を結果として受け入れて、また次のチャレンジをしました。そして、いま再び注目を浴び、そればかりか観る者に感動を与えるいい仕事をしています。
 目の前の出来事や状況にもがいたり、叫んだりすることもひとつの生き方だけど、現実を受け入れて淡々と、しかし歩みを止めない生き方もあるのだと学ばせてもらったような気がします。

 続いて伊藤裕二。現役を引退したいまもやっぱりナイスガイでしたよ。名古屋で会ったのですが、彼が登場した瞬間、「ふっ」と涼しげな風が吹き込んでくる感じ。田坂の箇所でも触れた通り、彼は現在ユースのコーチをしています。ナイスガイだし、人格者だし、それにJリーグ発足当時のスターGKだし、彼に指導される子供たちは幸せだとしみじみ思いました。
 喫茶店で話を聞いた後、近くの路上で撮影をしたのですが、それがまたサマになるんです。スタイルも抜群。もちろん顔も爽やか。カメラマンさんが「モデルでもやったらどうですか?」と水を向けたのも決してお世辞ではなかったと思います。しかも、それに対して「とんでもないです」とはにかむあたりがまた好感度◎だったりして。
 サッカーの話をすれば、若年層の指導について勉強するため、オフにオランダに行ってきたとのこと(そういえば田坂もイタリアに行ったと言ってました)。そこで「あ、これはベルマーレで使えるな」と感じたという話は『10年史』にも書いた通りです。
 それにしてもベルマーレに在籍したのは3年だけ。しかも、現在もグランパスのコーチなのに、「あ、ベルマーレ」とひらめくあたり、なかなか義理堅い人ですね。

 そして川俣則幸。昨年末、大神のクラブハウスで会ったことは<パート1>のはじめに書いた通り。ようやくその川俣さんまで辿りつけました。実は僕は川俣さんとはほとんど面識がなかったので、人選をきいて「たった1年いただけのコーチになぜ?」と訝しがっていたのですが、話をしてみて「なるほど」と得心しました。日本リーグ時代からいくつかのチームを渡り歩いているので、時間的にも空間的にもより広い視野で「クラブ」をとらえているし、しかも、考えを言葉に置き換える能力が高いので、とても示唆に富んだ話をしてくれるのです。
 なかでも「クラブは器だと思うんです」というフレーズは、僕にとっても金言になりました。その器をどう使うか、何を入れるか。結局、それが「クラブ作り」ということ。
「器」なんだから、そこに何を入れてもいい。極端な話、何も入れなくてもいいし、ぎっしり詰め込んでもいい。では、それを決めるのは「誰?」というあたりです。そう考えてみれば、「国」という「器」も、「クラブ」という「器」もそこに集っている人以上にも以下にもならないのかなぁ、なんて思ったり。こういうことを書くと、また怒られてしまいそうだけど。
 とにかく、大事なことは「ここに器がある」という事実です。ホントに僕たちの目の前には「ベルマーレという器」があるんですよ。みんなも知っている通り。
「器」があるからには、これを使ったり、ここに集ったりして、もしかしたら楽しいことをやれるかもしれない。もちろん、上手に使える時も、そうでない時もあるだろうけど、とにかく「ここに器がある」ということが大切なんだと思います。そうすれば、「ハッピーの可能性」がいつもあるというか。川俣さんはご存知の通り、五輪代表チームのスタッフの一員です。アテネの組み合わせも決まりました。楽しんで、頑張ってきてほしいと思います。

 というわけで、思いがけず<パート3>まで続いてしまいましたが、<おまけ>はこれにて終了です(パラシオス、高田保則については現役の選手なので)。
 本当に<おまけ話>ばっかりになってしまって、すみませんでした。

ph_kawabataPROFILE
川端 康生 -Yasuo KAWABATA- 1965年生まれ フリーライター
最新刊に「負けずじゃけん(稚出版社)」「日韓ワールドカップの覚書(講談社)」「星屑たち(双葉社)」

COMMENT
ベルマーレとの関わりも気がつけば10年になります。びっくりですね。
あくまでも、さりげなく自然体で、なんですけどね。